どこかにある何かを探して。

普通の女子大生の旅と留学の記録と時々日記。

クズになったら受け入れられるものが増えた

 

こんにちは☺︎

留学でも旅行でも何でもない、最近私が何となく思ってることです。

 

タイトルの通りです。

クズになったら受け入れられるものが増えました。

 

最近まわりの出来事や人にイラつかなくなってきました。どうでもよくなったと言えば悪く聞こえるし、寛容になったと言えばよく聞こえますね。

 

中学生のころ私はたぶん優等生でした。成績は学年で上位の方だったし、学級委員や生徒会をやって、部活もちゃんとやってました。合唱祭のピアノ伴奏とかもやってましたね。

 

その当時は色んなものが許せなかったんですよ。

例えば掃除やグループワークをちゃんとやらない人たち。なんでみんなちゃんとやってるのにお前らは遊んでるんだ、このバカがとか思ってた思います。それを怒らない先生に対しても、おいおいと思ってました。そういう先生に限って私が少しミスすると怒るんですよね。

遅刻する人にもルールくらい守れよと思ってたし、勉強出来なくていいやって開き直ってる人も軽く見下してましたね。今思うとかなり性格は悪いですね😇😇

 

ところがどっこい!

割と偏差値高めの高校に進むと私なんか比べ物にならないような優秀な人たちにたくさん出会い、大学受験では散々な結果になり、浪人したものまぁいいんじゃない?くらいの大学に進むことになりました。

今まで頑張れば大抵のことはできると思ってたけど、自分は頑張れないんだなぁってこに気づきました。頑張っても届かないものがたくさんあるってことに気づきました。

 

留学してからはひどいもので、一日中部屋にこもってぼーっとしてる日や、今日シャワー浴びるのめんどくさいからそのまま寝ちゃえとかざらにあります。今に至っては取りたい授業がないからもう授業切っちゃえっていって自分を正当化する理由かき集めて、旅行したりボランティアしたりしてます。大したこともしてないのに留学辛い、帰りたい、就活したくないとか思いながら毎日過ごしています。(留学は楽しいです。)

 

こんな自分を見たら、きっと中学生のころの私はかなりイライラするでしょう。せっかく留学してんのにお前は何してんだよ!!親がお金出してくれて、学校にもサポートしてもらってるのにぐーたらして!!って思うでしょう。今の私ですらそう思います。中学生の私がイラついてた "ちゃんとしていない人" になってしまったのです。

 

ただ辛いものは辛いし、出来ないものは出来ないんですね。だから、今日はちゃんと日の出(9時)に起きたから私は偉い、今日は部屋から出て友達と街に出かけたから偉いって何とか自分を肯定していかないとやってられなくなります。

 

自分が ちゃんとしていない人 になった今、ちゃんとしていない人や物を自然と受け入れられるようになりました。

 

寮の共有スペースでパーティーしたあと後片付けをしない人たちがいて一回注意したけど直らなくて、前だったら何回だって文句言っただろうけど、こないだは静かにもーーうって言いながら全部片付けました。

遅刻する人や大幅に遅延する電車や飛行機に対しても、私の時間を無駄にしあがってって思ってたけど、最近はあぁまた遅れるのね、はいはいって思えるようになりました。

日本の完璧な接客に慣れてた私は海外のテキトーなサービス見ながら感じ悪いなって思ってたけど、そんなのどうでもよくなりました。

 

 

前よりイラつくことはぐっと減って、なんだか生きやすくなった気がします。またこうやってクズな自分を肯定してしまっていますね。よくないですね。でもいいんです。

 

バカ真面目に生きてたころより、今の方がずっと楽しいし、楽しいことも増えた気がします。 出来ないことを出来るようになるために、もっともっと上へってがむしゃらに頑張る楽しさも知ってるし、てきとーに力を抜いて頑張れる範囲でのんびりする楽しさも知りました。その一方で上へ上へって頑張り続けるのは辛いときも多いし、てきとーに生きてると罪悪感と虚無感に襲われます。どっちも上手く使い分けて行きたいところです☺︎

 

やることはちゃんとやって、そんなに神経質にならないで、自分は自分で他人は他人で、楽しいことは周りと共有して生きていきたいな〜と思います☺️

 

以上!

 

 

 

人種差別のはなし

こんにちは!

 

タイトルの通り人種差別の話です。

外国で過ごす人なら避けては通れない話だし、日本にいてもたびたび目にする話題ですね。すごいセンシティブな話題でどこまで踏み込んでいいのか分からないし、かなり私の経験と主観が入ってしまうんですけど、せっかくなので残しておきたいと思います。

 

 

人種差別について考えたのは、ついこないだのこと。韓国人の友達をご飯を食べていたら、その子たちがこんなことを言ってました。

 

「コリドー(寮)のヨーロッパ人が他の人には挨拶するのに、自分たちのことは無視する。」

「イングリッシュネームをヨーロッパ人につけろと言われてつけたのに、笑われた上に、覚えてもらえない。」

 

イングリッシュネームとは、アジア人(特に韓国人、中国人)の名前は、他の国の人からしたら発音しにくいので、呼んでもらいやすく覚えてもらいやすいようにつける英語の名前です。ちなみに私もフィリピンに語学留学するときにつけようとしましたが、私の名前は発音しやすいから必要ないってアメリカ人に言われたのでやめました。自分の名前が好きなので、多少発音間違われても自分の本名を使っていたいと私は思います。

 

 

話が脱線しましたね😇 で、そのあとにその友達は「私がアジア人だから、人種差別だ、ヨーロッパ人はみんな嫌がってる」みたいなことを言ってました。他の韓国人もヨーロッパ人はアジア人差別するから仲良くなんて出来ないよって私に言ってきました。

 

 

そこにアジア人である私はひっかかってしまいました。私は幸いなことに自分が人種差別にあってるとかんじたことはありません。アメリカやニュージーランドに数週間滞在したこともあるし、スウェーデンで留学生と同じ寮で生活し始めてからもう半年がたちます。色んなところにひとりで行って、ホステルなどで色んな人に出会ってきました。そこでいきなり無視されたし、笑われたりすることは今まで1度もありません。

 

英語が今よりもっと出来ない時、私が英語出来ないせいで、伝わらなくてイラついてるのかなとかそんなことは感じたことがあります。でもそれは私が「アジア人・日本人」であるからではなくて、私と「英語でコミュニケーションがとれない」からだと思っています。

 

 

実際、相手がどう思っているかなんてわかりません。こないだのアウシュビッツのあとがきに書いたように、人間は平等に全員を見ることはできません。自分の中で人種や職業などで優劣をつけてしまっているかもしれません。でも、そんなことで優劣はあるべきではないって普通の人間なら理解してるので、考えることも感じることもないし、もしも思っていても思ってることを表にだすことはしません。でも、態度に出なければ私が知ることはないのでそれでいいんです。もちろんないに越したことはないですけどね!!!!!

 

 

オーストラリア人・イタリア人・カナダ人・ドイツ人・アメリカ人など今まで世界中のホステルで出会った旅人たちにも差別されたって感じたことはありません。

同じコリドーに住むイタリア人とスペイン人は、初めて会った時から笑顔で話しかけてくれました。自己紹介をして、2回目に会った時には名前を呼んでくれました。

スウェーデンは移民が多い国だし、昔から寛容な国なので、街中で差別されることはほぼないと思っていいと思います。

 

 

私がいい人たちに恵まれているだけで運がいいのかなって思うけど、それはそれで幸せなことです。旅人や留学生は外国人に会うことに慣れているので差別しないだけでしょって思うけど、韓国人が言ってた差別してきた人たちも、私が仲良くしている留学生と同じ留学生です。

 

なんで彼女たちは差別されてると思うのに、私と友達(日本人)はそう感じないんでしょうか。単に韓国人3人だけがそういうことがあって、私たち日本人(3人)だけないってことなんでしょうか。同じところで同じような生活をしているのに本当に偶然なのかなとか考えてしまいました。

 

 

ここからは推測ですが、韓国人の友達は「自分たちのほうが欧米人より劣っている」っていう意識があるのかなと思いました。何か嫌な目にあった時、あの人たちが自分たちを差別しているから嫌なことをしてくるんだって思うようにできているというか。大げさにいうと、何かあったときに、すべてを人種差別のせいにしてしまうのかなとも思います。

 

留学当初の私は、パーティーが嫌いなこと、人と会いたくないこと、授業がつまらないことを全部英語ができないせいにしていました。英語が出来ないからパーティーは嫌い。英語が出来ないから人と会って話したくない。英語だから授業がハードに感じてつまらない。でも、そんなことはなくて、お酒が苦手でうるさいところがあんまり好きじゃないからパーティーは嫌いで、ずっと人といるのは苦手で昔からひとりの時間が絶対必要だったし、日本でも大学の授業は楽しい!!って受けていたわけではありませんでした。

でも、「全部英語のせいだ」って思うと、正当化されたみたいで気が楽でした。英語が出来ないから仕方ないよね(仕方なくないし、英語できるようにならなきゃいけない)って思うと、すべてが許されるような感覚でした。

 

私の英語は100%自分のせいなので、違いますが、それと少し似たようなもので、何か自分にとってうまくいかないことを全て人種差別されてるって思えば、全部相手のせいにできるのです。自分が堂々と話してなくても、その場所のルールを守ってなくても、自分が悪くても、人種差別のせいだっていえば、自分を守ることが出来てしまうのです。

 

人種差別されたって言ってた3人がたまたま韓国人だったのか、多くの韓国人がそう言ってるのかはわかりません。もし後者なら、教育や社会が関係しそうですね。その辺わかる人教えてください。

 

 

というか、そもそも人種差別のするような人に出会う機会はこれからほとんどないような気がします。旅先のホステルで出会うような人は、もう色んな人に出会っているから差別するような人はほとんどいないでしょう。留学先で出会う留学生は、留学してるくらいなので差別するような人はほとんどいないでしょう。

人種差別するような人は、自分の国から出ないし、関わろうとしないはずなので、関係ないはず!!!!

 

実際差別されてたって、そんなの私は何も悪くないんだから堂々としてればいいし、言いたいことは言わなきゃいけないし、差別してくるからヨーロッパ人は嫌いだっていえば私が差別していることになります。

 

だから、いつだって私は私で、私は日本人でいることを誇りに思っていたいし、人を人種じゃなくてひとりひとりを好きになっていけたらいいなぁ〜と思っています。

 

 

おわり☺︎

 

 

ある冬の日【スウェーデン留学】

こんにちは。

旅行のことばっかり書いて、スウェーデン留学のこと全然書いてないじゃんってことに気づきました。今は当たり前に過ごしてるここでの生活も何年か経って見返せば、立派な思い出になってると思うので残しておきます。

 

最近は雪がひどくて、バスや電車が通常通り動かない日もあり、外に出るのがとにかく億劫なので、寮でのんびりする日が増えました。  雪の上を歩くのって本当に疲れるんですよね。

 

太陽出てる時間が短かったので、太陽が出てる時間は起きていたいと思うようになりました。だから8時半〜9時くらいに太陽とともに起きて、朝ごはんを食べます。スウェーデンぽいもの食べればいいのに、ここに来てまで米を炊いてます。お茶漬け食べたり、昨日の残りのおかずと食べたり、日本にいる時とあんまかわりませんね。自炊するとついつい今まで家で食べてたものを作りがちです。

スウェーデンぽいものっていうとクラッカーにチーズのせたりするのかな?? 友達や妹が遊びに来るのでやってみます。

 

そのあとは友達とコモンキッチンのテーブルで、各々作業することが多いです。 今学期のコリドー(寮)メイトはみんな優しくて、パーティー好きがあんまりいないので、コモンキッチンは綺麗だし、居心地がかなりいいです。

 

一緒にご飯作ったり、シェアしたり、おしゃべりしたり、おかし食べたりと、グダグダと過ごすことが多いです。

前のセメスターは部屋から出る気が起きないくらいクズだったので、コモンキッチンでおしゃべり出来るようになったのは自分としてはかなりの成長です☺︎

 

留学する前はヨーロッパ人はみんな英語ペラペラっていう印象があったので、人と英語で話すのが怖かったんです。でも、意外とそんなこともなくて、全体としてスペイン人とイタリア人はそんなこともないなと思います。もちろん日本人でペラペラの人がいるように、スペイン人、イタリア人でもペラペラな人はいます。ただその割合が、スウェーデン人やドイツ人、オランダ人よりは少ないなという印象!!

 

コリドーのシェアキッチンによくいるのが、イタリア人とスペイン人なので3人でのんびりとおしゃべりすることが多いです☺︎すごく楽しい☺︎

 

話を戻します。

そんな感じで、課題やったり、就活調べてみたり、旅行計画したり、課外活動の準備をしたりと、作業しながらのんびりと過ごしています。

 

 

もちろん、Fika (フィーカ)もします。

fikaとはコーヒーブレイクみたいなもので、スウェーデン文化の1つです。外国人には理解できない深い意味があるだろうけど、コーヒーとシナモンロール(カネルブッラ)をいただきながら休憩することみたいなかんじです。

 

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スーパーでは冷凍のシナモンロールが売っています。この日は友達がそれを持ってきてくれたのを食べました☺︎

 

 

 

スウェーデンの冬らしく、あったかいところから、外の雪を眺めたり、静かにのんびり過ごしたりしていて、ストレスもなく幸せで穏やかな日々って感じですかね。

 

 

留学も半分が終わり、9月の頃はこのまま留学が終わらないんじゃないかって思うほどのんびり過ぎていた時間も、今では日常となりそこそこのスピードで過ぎていきます。無気力で、頑張れなかった最初の半年を経て、ようやく慣れてきてパワフルに活動していた日本にいた頃の私に近づいてきました。

 

残り4ヶ月ちょっとで何かできるのかわからないけど、スウェーデンライフを満喫しながら、後悔がない留学生活にしたいなぁと毎日思ってます。 とりあえずは取りたかった授業2つが最終タームで待っているのでそれを頑張ること、今やってる課外活動(いつか別でかきたいな〜)を責任持ってやりきること、英語できますって言えるくらいには使えるようになることを目標にやっていきたいと思います。

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~あとがき~

こんにちは~!

長々と3回に分けて書いてきたアウシュビッツ収容所訪問記ですが、これで最後です。

 

アウシュビッツ収容所に行くことを決めてから、実際に行くまではこちらから!

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~準備編~ - どこかにある何かを探して。

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた〜現場編①〜 - どこかにある何かを探して。

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~現場編②~ - どこかにある何かを探して。

 

ブログを読んだ友達から行ってみたいって言われたり、実際にもう予約までした友達もいるし、長文の感想を送っていくれる友達までいて、とてもうれしいな~と思っています。

 

というのも、わざわざアウシュビッツ収容所に自分から行きたいっていう人がそんなにいると思ってなかったから、反応をもらえたのがすごく嬉しかったんです。日本から遠く離れたヨーロッパにはフランスやイタリアなど、たくさん観光スポットがあって、おしゃれで、テレビやSNSを通してよく見る有名な場所がたくさんあります。ヨーロッパに気軽に旅行するほど大学生はお金はないし、どうせ行くなら綺麗な街並みを見たいと思うのは当然です。

 

それに対してアウシュビッツは、ポーランドの南にあるクラクフという名前も知らないような街からさらにバスで何時間もかかる超へんぴなところにあって、行っても楽しくはないです。綺麗だ~って目をキラキラさせるどころが、暗い気持ちになります。インスタに載せるようなオシャレな写真を撮れないどころか、写真を撮るのを戸惑うくらい衝撃的な展示物もたくさんあります。

 

行ったきっかけを3つ前のブログに、きれいな街並みに飽きたからなんてことを書いたと思いますが、本当にそうなんです。何か他の人と違うことしてみたいなぁくらいの感じです。

 

ただ自分が思っていたより衝撃的だったし、日本ではほとんど触れないような内容なのにヨーロッパの国々ではEU全体で歴史教育について考えているっていうのにもびっくりました。EU内には加害者も被害者もいて、もちろんとらえ方は変わってくるはずなのに、全体で向き合っていく姿勢というか、何ていっていいかわからないけど、日本はこのままでいいのかな~って思ったり。私に何か出来るわけではないから、とりあえず周りの人にもまずは知ってもらいたいな~って今は思います。

 

 

ガイドの中谷さんが「差別をしてなくても、人間は差をつけている」とおっしゃっていたのが印象に残っているので紹介します。

人類みな平等だって思っているけど、そんなことはない。絶対心の中で他人を下に見たり、上に見たりしている。でも、余裕があれば、そんなのは表に出さずに、心の中で思っているけど、ここではそうではなかった。

アウシュビッツ収容所にはユダヤ人だけでなく、社会から差別されていた障碍者、同性愛者、浮浪者、ロマなどの人たちも収容されていました。その中でも序列がありました。お互いに恨みあい、監視しあっていました。

 

今でももちろん差別はあります。ニューヨークの地下鉄でアジア人差別をした人の動画がツイッターで話題になっていましたね。でも、それを非難する人たちがたくさんいるので表向きに発信する人はほとんどいません。表向きは人類みな平等で、同じ権利をもつべきだと思わなければいけません。

ただ全員が心の底から本心で思っているのでしょうか。日本の外国人労働者であるからということだけを理由に給料が低いのは何ででしょうか?住むところを失った難民を跳ね返すのは何ででしょうか?  自分を守るために他人を下げるしかないからじゃないかと私は思います。外国人労働者の給料をいきなり全部一緒にしろ!難民を全部受け入れろ!といっているわけではないです。そうできない理由がどこかにあるっていうことです。

 

たとえとして微妙かもしれないですが、ウィーンに行ったとき韓国人の団体客が写真撮影禁止エリアで大騒ぎしながら写真を撮りまくって、注意されているのにも関わらず撮り続けているのを見て、これだから韓国人は…と思ってしまいました。私には韓国人の友達は何人もいて、みんな優しくていい子なのも知っているのにそう思ってしまいました。韓国人の友達ひとりひとりは大好きでこれからも仲良くしていきたいと心の底から思っていますが、韓国人全体としては日本人のほうが…と思っていたのだと思います。

 

それが今、国単位で隠れていた差別意識が表に出てきています。共存主義から一国主義に流れが変わろうとしています。みんなで協力していい世界をつくろうから、自分の国が良ければいいんだという考えに変わりつつあります。

表向きにはみんなで頑張ろうであるべきだと思いますが、一国主義にかわらなきゃいけない背景があって、そう簡単に理解することは出来ないけれど、理解しようとはしなければならない気がします。

 

だんだんと話が脱線していきましたが、歴史から学ぶってこういうことなのかな~っていうのを何となくわかったような気がします。

 

~気がしますって続くのは、いまだに私自身がわかってはいないからです。まだまだ勉強しなきゃいけないことも、考えなきゃいけないこともたくさんあります。せっかく大学で政治学を学び、留学までして、アウシュビッツを自分の目で見てきたんだから、これからも興味を持っていたいと思います!!!!

 

長くなってしまったけど、おわり!!!!!!

直接現場にいけなくても、本や映画はたくさんあるので興味ある人はぜひ見てみてください。そして、よければ感想を聞かせてください。

 

 

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~現場編②~

前回と前々回に引き続き、現場編②です。

resa96.hatenablog.jp

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前回はアウシュビッツ第一収容所を見たところで終わりました。

そのあと約3キロ離れたアウシュビッツ第二収容所 ビルケナウまで、バスで向かいます。10分だか15分おきにでていて、無料で乗ることが出来ます。移動時間は中谷さんとガイド参加者のお兄さんとおしゃべりです。スウェーデンに留学中で~って話をしたら、スウェーデンにはユダヤ人を10万人以上救ったラウル・ワレンバークという外交官がいるから調べてみるといいかもねと言われました。ちなみにシンドラーのリストシンドラーが救ったユダヤ人が約1200人、杉原千畝が救ったのは約6000人です。

 

前回、日本人は年間3万人ほど訪れると書きました。その中には若い人もかなりいて、特にこれからの時期は学生の春休みなので、ガイドの定員30人がいっぱいになることもあるそうです。打算的ではあるけど、アウシュビッツに行ったって就活でも使えることがあるらしいよ~って言われました。絶賛就活中の私ですが、いまいち使い方はわかんないし、それが目的で来るのはどうかと思うけど、それほど重要な遺跡であることは間違いなさそうです。

 

さて!10分ほどバスに揺られるとビルケナウに到着です。

アウシュビッツの写真として教科書などで見るのは、前回書いた門とこの入り口ではないでしょうか。基本的には天気のいい夏の写真を使っているので、ピンとこない人は調べてみてください。見たことあると思います。

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これは収容所の中からみた景色です。ここが50万人以上のユダヤ人を乗せた列車の終点です。


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この小さな列車に70人ほどが詰め込まれて、遠いところだと何日もかけて終点であるビルケナウにやってきます。


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私の手書きのメモなので汚いのは許してください。門を入って、列車が止まっているところをランペ(降車場)と呼び、ここでユダヤ人は降ろされます。列車から続いてる小さい丸○はユダヤ人の列を表していて、その先にSS(ナチスの親衛隊)の医者がいます。その医者が新しく来たユダヤ人を”選別”します。ぱっと顔みて、「はい、右。左。」って働けそうな元気な人は収容し、そうじゃない人(子供や年寄り)はそのままガス室へ。とっても優秀なお医者さんが、送られてきた人たちに触れることなく、ただ顔色だけを見て、選別をしていったそうです。約8割の人がガス室に直行です。収容されたのはたった2割しかいませんでした。

 

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これがガス室へ向かう道のりです。前に見えるのはガイドの中谷さんです。

収容所の建物を横目にどんな思いで歩いていたんだろうって思いながら、歩きにくい雪の道を歩いていきます。


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これがガス室の跡です。ナチスは戦争に負けることがわかると証拠隠滅のためにガス室を爆破しましたが、跡は今でも残っています。雪が積もっていてしっかりは見えませんでしたが、形は分かります。前に書いたように、約8割の人はガス室に直行します。しかし、彼らにはガス室で殺すからついてこいなんて言うわけもなく、シャワーを浴びるシャワー室に行くと伝えます。ガス室には脱衣所があり、服をかけるハンガーまであります。そこで服を脱ぎ、髪をかられました。もちろんガス室に シャワーを浴びに行った 人たちがその服を着ることは2度とありませんでした。

 

ガス室で有名なアウシュビッツですが、できた当初からガス室はあったわけではありません。そもそもナチスユダヤ人を「殺す」「虐殺する」なんて言葉は使っていないのです。「ユダヤ人問題の最終的解決」として、ガス室を始動させたのです。ユダヤ人を劣性として、優性のみを残すための政策でした。なんでユダヤ人がターゲットになったのかなどは長くなるので割愛しますが、この辺は難しくていまだによくわかないので、もっと調べてみたいと思います。とにかく収容する場所が足りなくなったので、殺すしかなくなってしまいました。多い時で1日4000人がここにあったガス室で亡くなりました。

ガス室を使うようになった理由の1つには銃殺する側の精神面を考慮したというのもあるそうです。そのため、ここで働いていたのは収容されていたユダヤ人でした。遺体を運び出し、併設する焼却炉にいれる仕事をやっていたそうです。

 

ちょっと脱線しますが、私が書いたメモの中に汚水とかいた丸があるのに気づいたでしょうか。左のガス室の隣です。

ここでは何万人もの被収容者が生活しているので、生活排水がでます。その汚水を処理してから川に流していたそうです。今なら当たり前だし、自然のことを考えたら当然じゃんと思いますが、なんでガス室で大量に人を殺せる人が自然を気にしていたんでしょうかと中谷さんはおっしゃっていました。この汚水はユダヤ人が出したものだって言えば、そのまま流してもよさそうなのに、自然には配慮していたそうです。

ユダヤ人への恨みなのか、とにかく当時のナチス、SSの人としての感覚が今の私たちと全然違うことはわかります。

 


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レンガでできた収容所の建物。建物の真ん中には暖房がありました。その近くで寝れるのは、被収容者のなかでもいい地位にいるひとたちです。寒い時は-30度まで下がるので暖房がありますが、あっためるためではなく、死なない程度の気温にするためでした。


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こちらは木造の建物。二段ベットの1段に4~5人が詰め込まれました。真ん中にある石のテーブルみたいなものは暖房です。

木造の建物はなくなっているものが多かったのですが、それは暖房の薪木として使われたからだそうです。

 

これで中谷さんのガイドは終わりでした。

ここで起こった事実を淡々と話すというよりは、私たちに考えさせるような内容でした。ちょっと早口で、知識不足のせいかたまについていけなくなりそうなときもありましたが、濃い3時間でした。ナチスが悪いって一言で終わらせるのではなくて、ナチスを選んだドイツはどうなってこうなってしまったの?ってきっと答えは1つじゃないような、現代にも通じそうな話がたくさん聞けました。

 

今のドイツはナチスのことをしっかり学校で教えて、高校の卒業試験でここしか出さないからちゃんと勉強しろよってしっかり考えさせているのに対し、日本は加害者として朝鮮や台湾をどう教わって考えているのでしょうか。日本の教育が悪いって言い訳してないで、自分で学んでいかなきゃですね。

またナチスは民主主義で選ばれました。ポピュリズム大衆迎合主義)もかなり重要なワードです。多数派が勝って権力を手に入れ続けたら、どうなっていくんでしょうか。

 

私の専攻は政治学で、ゼミのテーマは東アジアの比較政治なので、朝鮮との歴史認識問題について触れたこともあるし、ポピュリズムについてのレポートも書いたことがありますが、思ったより身になってなくて落ち込みました。それに加えて、ヨーロッパについてはほぼ知識がないし考える機会もなかったので、今回をきっかけに学んでいこうと思いました。

政治学は将来役に立たないだろうな~と思いながら授業を受けていたけど(面白いとは思っていましたよ!)、ようやく役に立つ場所が分かった気がします。

歴史を学ぶ意味も感じることが出来ました。

簡単に言えば、どちらも今後同じような悲劇を起こさないようにするためなのかなと私は思います。

 

まだ消化しきれていない部分もたくさんあるけど、いったんおわり!

歴史を学びながら、今のニュースもしっかり追いかけていこうと改めて思いました!!

 

※ガイドの内容やアウシュビッツの案内書、ドキュメンタリーなどからど素人の私がこのブログを書いたので、もしかしたら間違っているかもしれません。間違いがあったら教えて下さい。

 

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた〜現場編①〜

こんにちは!

前回は準備編ということで、中谷さんのガイドに予約して、少し予習したところまで書きました。今回は当日のことを書きます!

 

resa96.hatenablog.jp

バスでアウシュビッツに行く

クラクフからアウシュビッツまではバスで1時間半ほどで着きます。中谷さんからのメールにはタクシーやマイクロバスを中谷さんが手配することもできますとありましたが、私はもちろんのこと1番安いバスで行きます。

ガイドは9時からで、中谷さんとはアウシュビッツのエントランスで8時50分に待ち合わせでした。なので7時10分のバスに乗りました。

他の人のブログを見たら、チケットは前日に買っておくべきだと書いてありましたが、指定席ではないので当日でも大丈夫です。私は6時45分ごろについて、5分後くらいにバスが来てたのでバスの中で運転手さんからチケットを買いました。ポーランド人にアウシュビッツといっても通じないので、「オシフィエンチム」といったほうがいいという情報をみましたが、運転手さんから「アウシュビッツ?」と聞いてくれたのでアウシュビッツで分かってくれそうです!私の時はカードを使えました。ちなみに15ズオチです。

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バスに揺られること約1時間半。ようやくオシフィエンチムに到着!!!

写真を撮り忘れましたが、バスを降りるとエントランスのレンガ造りの建物が見えるのでそこに向かいます。近くには荷物を預けるところがあります。A4サイズ以上の荷物は持ち込めないので、それより大きい荷物はあずけなければいけません。

メインのレンガ造りの建物の中にはお土産屋さん、郵便局、両替所(レートはめちゃくちゃ悪い)、トイレ(有料)がありました。その建物の前で中谷さんと待ち合わせです…!

 

 

中谷さんのガイドスタート!

中谷さんともう一人の参加者のお兄さんと合流し、中に入ります。普段は少なくても10人ほどは集まるそうですが、今回は2人とかなりのレアケースだったみたいです。人数が多くなると、中谷さんがマイクをつけて参加者はイヤホンからガイドを聞く形になるみたいです。

空港のような荷物チェックを通り抜け、少し歩くと、もうアウシュビッツ強制収容所のなかです。ここから中谷さんのガイドが始まります。


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私が行ったのは1月の半ばだったので、雪が積もってました。気温は-3度くらい。私たちはもこもこに着込んでいるから何とかなりますが、当時の収容されていた人は間違いなくもっと薄着だったので、寒さが原因で亡くなった人もたくさんいるそうです。

 

「働けば自由になる」と書かれた門


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これがあの有名な門です。

ドイツ語で「Arbeit macht frei」

英語にすると「Work makes free」で、日本語では「働けば自由になる」と訳されることが多いです。もちろんそんなことはなく、ここで収容された人は毎日12時間以上働かされた末に、凍死、過労死、チフスに感染、弱ってガス室へ…など決して自由が待っていることはありませんでした。

Arbeit(仕事)のBがひっくり返っていることはあまりにも有名ですね。SS(ナチスの親衛隊)に対するささやかな抵抗といわれたりしてますが、どうだったのかはわかりません。

 

中に入るとレンガ造りの建物がたくさん見えます。行ったら、怖いというかもっと感じるものがあるのかなと思ってましたが、解説を聞く前は ”ただのレンガ造りの建物” がきれいに並んでいるだけでした。

 

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そんなことを言っていられたのは最初の5分くらいでした。

 

第5棟の展示物

いくつかの建物は博物館として、中に色々なものが展示されています。いくつか写真を撮ったので紹介していきたいと思います。

 
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ガス室で使われた殺虫剤・チクロンBの空き缶です。

ガス室の天井には小さな穴が空いていて、そこにこの殺虫剤が投げ込まれます。人を殺すのに殺虫剤が使われていました。ナチスにとって、ユダヤ人は人ではなく害虫と同じレベルだったようです。そうじゃなきゃ、こんな残酷なこと出来ないですよね。

 


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これは収容された人がもってきたお皿たち。ナチスが連れてきたユダヤ人が持っていた荷物の中に入っていたものです。ナチスユダヤ人に東に移住するから引っ越しの準備をしろと言ったので、自分が持っている1番いい鞄に大切なものを持ってこれるだけ詰め込んできたんだろうなぁと思います。中谷さんがいうには、子供を安心させるためにいつも使っているものを持ってきたんだろうとのことです。

 

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これがさっき言った鞄たち。多くのトランクには持ち主の名前と住所が書いてあります。自分のもとに戻ってくるように持ち主が自分自身で書いたと思われますが、本人が開けることはありませんでした。収容所に着いて、現地の管理している人たちに開けられて、使えそうなものだけとってあとはゴミです。処分しきれなかったものがアウシュビッツが解放されたあとに発見されました。


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大量の靴です。もう70年以上前のものなのでかなり古くなって色は変わってしまっていますが、収容されていたユダヤ人にとって1番いい靴だったはずだと中谷さんは言ってました。1つだけ靴をもってけるとしたら1番いいお気に入りの靴を履いていくでしょう。

 

あと刈り取られた髪の毛も展示してあります。髪の毛から作られたカーペットも置いてありました。使い切らなかったものが残っています。遺体の一部なので写真は撮れないし、いざ目の前にすると何も言葉が出てこなくなります。先ほどと同じように70年以上たっているので、色はかなり変わっています。全体的にくすんだ黒色です。ヨーロッパの人なので金髪、茶髪、赤毛、黒髪…と色んな色だったと思いますが、時間が経つと全部同じになってしまいます。

 

70年でこんなに変わり果てて、100年後も残っているのかなとふと思いました。私が小学生の時、戦争を経験したおじいさんが学校に来て当時のお話をしてくれました。でも、今は戦争を体験した人で元気な人はかなり少なくなっていて、そのうち直接話を聞けることはなくなります。それと同じようなことで、時がたつ中でどんどん薄れていってしまうような気がします。そうあってはいけないから、国やEU負の遺産としてアウシュビッツを博物館として管理し、私たちは歴史を学び、ひとりひとりに考える機会を与えているのかなと思いました。

 

 

訪れる人々
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この写真には誰も写っていませんが、ちらほらと団体がいました。ポーランド人の高校生がガイドと共に回っていました。アウシュビッツユダヤ人が収容された場所として知られていますが、元々はポーランド政治犯や優秀な人(指導者になる人、先生など)も収容されていました。彼らはポーランドのために戦った人なので、ポーランドからしたら英雄です。なのでポーランド人にとっても大切な場所だそうです。もちろんガイドの内容も言語によって違います。中谷さんのガイドは日本人向けなので、細かい歴史よりももっとジェネラルな話が多かったように思います。

 

ドイツでは高校の卒業試験の歴史の問題はナチスやそのあたりのことしか出ないそうです。自分の国が過去にやった残酷な出来事に、真正面から向き合う機会を若い人たちは与えられるといった感じですかね。テキストを抱えて勉強しながら歩いていた高校生くらいの女の子を見かけました。ただ歴史を覚えるというよりは、何でこんな起こったのかとかもっと深いところが問題になるそうです。「ヒトラーが悪い」「ナチスが悪い」は答えとして不適切で、もっともっと深いところ、何でナチスが民主主義で選ばれたのか、何で誰も止めれなかったor止めようとしなかったのかとか、民主主義やポピュリズム大衆迎合主義)に関わるところまで踏み込まなければいけません。正確な答えはわからなくても(ないかもしれない)、歴史を学び、自分で考えるということに意味がありそうです。

こういう話を聞きながら、また今ここに書きながら、高校時代、歴史は暗記科目だーー!!って言いながら勉強したことを思い出します。なんでも教育のせいにするのはいけないと思いつつも、日本とヨーロッパの歴史教育の違いを感じました。弥生土器の種類や平安時代天皇の順番を覚えるよりももっとやることはありそうです。

 

ヨーロッパでは修学旅行先になることも多いそうです。日本人が広島や長崎、沖縄に修学旅行に行くのとおなじようなものですかね。年間200万人以上(日本人は3万人ほど)が訪れ、特に夏にはたくさんの人がきて、ゆっくりガイドをしてみることは難しいと中谷さんは言っていました。めちゃくちゃ寒いけど、ゆっくり見たい方は冬に行くことをお勧めします。

 

 

死の壁
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これは第10棟と第11棟の間にある「死の壁」です。奥に見えるグレーの壁です。ここは銃殺刑に使われた壁で、囚人はこの前に立たされ銃殺されました。いくつもの銃弾の痕が残っていて、お花が手向けられていました。

第11棟は中に入れて、人体実験のことや拷問のことが展示されています。今でもカルテはドイツ語で書かれているように、当時ドイツは医学の最前線をいっていました。その優秀な医師たちが人体実験をやっていたんです。命に関わるような実験に人を使うなんてダメに決まってるじゃんって、平々凡々な大学生の私ですらわかるようなことを世界トップクラスに優秀な人たちが行っていたんです。当時のナチスによる洗脳というか、ユダヤ人は敵だって国民にしみこませたというか、ナチスの力の強さを感じます。

 

 

第11棟の展示物
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収容所から労働場所まで行進させられる被収容者たちです。このような絵がいくつも残っています。


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初期の被収容者たちは写真や名前やつけられた番号がしっかりと残っています。見えにくいと思いますが、何人かの顔にはあざがあります。収容所の命令はドイツ語で出されます。ポーランド人はポーランド語を話すので、理解できない人も当然います。どうなったかは想像の通り、殴られたり、もので叩かれたり…。

 


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上の2枚の写真はどちらも被収容者の部屋です。上の写真の3段ベットには1台あたり2~4人が使っていたそうです。それに対し、下の写真の被収容者は広々とひとり1台のベットに机やタンスまであります。

 

繰り返しますが、どちらも被収容者の部屋です。SSは被収容者にはランクをつけて、被収容者同士で管理させることに成功しました。ポーランド人、ユダヤ人、同性愛者など、共通の敵であるナチスがいるにも関わらず、お互いに恨みあい、監視しあっていたのです。被収容者を管理する人にはいい部屋を与え、配給係までやらせました。当たり前ですが、自分の食べ物を多く確保します。配給係の中には太っていたものまでいたそうです。そういった人たちが厳しい環境を生き抜いていったわけです。この時代の様子を知るためには生存者の証言が必要ですが、彼らは被収容者でありながら半分は加害者なので、証言しづらかったそうです。家族がいる人は特に。

 

 

有刺鉄線
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収容所の周りは有刺鉄線で囲われています。しかも2重。夜中には電気が流れ脱走できないようになっています。

 

ヘス(初代所長)の家
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右にあるベージュぽい一軒家が見えますか?収容所から数十メートルのところ、この写真を撮ったすぐ後ろにはガス室があるところに、SS大佐であるルドルフ・ヘスが幼い子供を含めた家族で住んでいました。元々は現地のポーランド人のものでしたが、彼らから奪いヘスは住んでいて、戦後は元の持ち主に戻されたそうです。かなり衝撃でした。被収容者を酷使し、効率よく人を殺す方法を考えていた収容所と、家族と過ごすあったかい自宅が目と鼻の先にあり、毎日行き来したと考えると、同じ人には思えません。自分の子供と同じくらいの子供をガス室に送り込んで、何も思わなかったのでしょうか。そう思わせない社会や環境はどんなだったんでしょうか。

 

ヘスは1947年にアウシュビッツで絞首刑になりました。自分が多くの人を殺した場所で処刑されたのです。彼は悪いことをしたと思っていなかったようなので、1度も謝ることはなかったそうです。ここにもナチスの強さを見ることが出来ます。

 

これでアウシュビッツ第一収容所はおわりです。
3時間のガイドのうち2時間弱です。残りはアウシュビッツ第二収容所・ビルケナウに続きますが、思った以上に長くなってしまったので次にします。

 

resa96.hatenablog.jp

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~準備編~

こんにちは!

まだ書いてない旅行の話はたくさんあるけど、絶対忘れたくないところに行ってきたので忘れる前に書き残しておきたいと思います。

ポーランドにあるアウシュビッツ博物館に行ってきました。

長くなる気がするので、今回は準備編にしたいと思います。

 

まずなんで私がポーランドに、アウシュビッツに行ったかというと、ヨーロッパ(スウェーデン)に留学している身として見たほうがいいかな~と思って調べてるうちに、行かなきゃって謎の使命感を感じたからです。っていうのもあるけど、実際は旧市街や大聖堂を見て綺麗だな~っていう旅行に飽きてきたところだったので違うことをしようっていうほうが大きいかったかもしれないです。そんな理由がどうでもよくなるくらい印象に残りました。

 

アウシュビッツ強制収容所とは…?

アウシュビッツとは、第二次大戦中に、ドイツ・ナチスポーランド南部に作った強制収容所です。ポーランドオシフィエンチムという町にあり、ドイツ人が発音しにくかったためアウシュビッツとドイツ語で呼ばれています。元々はポーランドやドイツの政治犯を収容するための施設でしたが、ホロコーストユダヤ人大虐殺)の最大の施設となり、多くのユダヤ人がここにあったガス室で殺されたことでも知られています。

現在は博物館として管理されており、ヨーロッパの国を中心に世界中から年間200万人以上が訪れているそうです。(日本人は3万人程度だそうです。)

 

 

ガイドの予約をする

アウシュビッツ博物館の入場料はかかりません。個人で見る分には無料です。いくつか看板や解説があるものの、何も知らなければ当時多くの人が収容されていた収容所はただの建物だし、多くの人が殺されたガス室は壊されていて知らなければただの瓦礫です。だからこそ、ガイドの方と回ることをお勧めします!

で!私が候補に入れたガイドは3つ!

アウシュビッツ唯一の外国人ガイドである日本人の中谷さんのガイド

②日本語を話せるポーランド人ガイド(クラクフから往復送迎付き)

ポーランド人ガイドによる英語ガイド

 

③英語ガイドは1500円ほどと3つの中では1番安かったのですが、せっかくここまで来たので完璧に理解したいということでが候補から消えました。①中谷さんのガイドがかなり評判がよかったので、公式ホームページを見たものの日本語ガイドがその日はありませんでした。なので③の送迎付きのガイドにしようかと思ったら約1万円もするし、ガイドの当たり外れがあるという口コミをみてしまったので、中谷さんのガイドに何とか参加できないものかと個人的にメールをすることにしました。メールアドレスはネット上にあるので、探してみてください。

こんな感じのメールを送りました^^

 

初めまして。
大学生の(名前)と申します。

急で申し訳ないのですが、(滞在期間)のどこかの日程で、アウシュビッツ収容所の見学をしたいと考えております。
可能でしたら、中谷様のガイドに参加をしたいのですが、ご都合はいかがでしょうか。
突然のお願いで申し訳ございません。ご検討いただければ幸いです
よろしくお願い申し上げます。

 

 

クラクフアウシュビッツからバスで1時間半ほどのところにある大きな町)での滞在は3日間を予定していたので、その3日間で都合のいい日を聞きました。しかし、私以外に参加者がいない、団体のお客様のガイド、お休みということで、この3日間は断られてしまいました。日程変更できるのでお願いしますというメールを送って待つこと1日。いいお返事を頂けましたーー!!

 

 こんにちは。

それでは(日時)からお引き受けします。ご案内はアウシュヴィッツとビルケナウで約3時間、入館案内料はお一人230ヅオチです。よろしければ、開始10分前までにアウシュヴィッツ博物館入場棟前へお集まりください。
私の連絡先は下記のとおりですので、現地でなにかお困りのときはご遠慮なくお知らせください。こちらで急な変更があるときにご迷惑をできるだけおかけしたくないので、緊急時連絡先をお持ちでしたら、ご教示ください。尚、不慮の事態によりご案内できなくなった場合はその代償を負うことはできません。あらかじめご了承願います。
尚、A4用紙以上の大きさのかばんやバックの持ち込みはできません。アウシュヴィッツ博物館の荷物預かり所へ置いてください(有料)。
クラクフアウシュヴィッツ博物館の交通情報を添付します

 

いえーーい!こんなメールが来ました。詳しいことはよくわかりませんが、10人まではガイド料が同じで人数で割るそうです。友達が行ったときは60ズオチだったらしいです。運がいいんだか、悪いんだか、ガイドの参加者は私と社会人のお兄さんの二人でした。いつもよりガイド料は高めでしたが、その分ゆっくりお話ししながらガイドを聞けたのでまあいいとします!

 

 

予習をする

恥ずかしながら、世界史をちゃんと勉強したことなかったので、中学の知識で止まっていました。そのまま行くのはもったいないと思ったので少し勉強してからいくことにしました。クラクフが舞台の映画「シンドラーのリスト」、友達のオススメで見た「縞模様のパジャマの少年」を見て、ドキュメンタリー見たりしました。

・何でユダヤ人だったのか

ナチスは何だったのか

アウシュビッツとは

とか、もう基本的なことも調べたりしました。日本という島国でぬくぬくと育った私は文字で読んでも、ピンとこないところも多くあったけど、基礎知識だけは詰め込みました。

あとはポーランドに行く前にプラハにいったので、プラハユダヤ人地区にあるミュージアムシナゴーグ(教会みたいなもの)にもいきました。

 

世界史やらなきゃなぁ~と大学は行ってからずっと思いながらもやらずに、スウェーデンに来ましたが、旅行しているうちに学びたい欲が高まってきました。英語をやる気になるもの旅行しているときだし、日本をもっと知りたいと思うのも歴史を勉強したいと思うのも全部旅からですね。

 

とりあえず行く前までの話!

 

resa96.hatenablog.jp

 

resa96.hatenablog.jp