どこかにある何かを探して。

旅と留学の記録と時々日記。

ホロコーストについてのフリーツアー in クラクフ

 

こんにちは☺

 

随分前にアウシュビッツについて色々と書きましたが、それに関連するお話です。ポーランドの南部にあるクラクフという街に4泊ほどして、そのうち1日はアウシュビッツへ、2日は有名観光地へ、あと1日はクラクフに残っているユダヤ人街やゲットーへ行き、ウォーキングツアーに参加しました。

 

 

私が参加したウォーキングツアーは「Holocaust traces in Krakow」です。クラクフホロコーストの跡地をガイドを聞きながらめぐりました。英語のフリーウォーキングツアーは全部で6つありました。フリーツアーなので参加費はかかりませんが、チップは払うべきだと思い、調べると20~40ズオチ(600~1200円)くらい払ったよ~ってトリップアドバイザーで見つけたので20ズオチ持って参加してきました。

 

 

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https://freewalkingtour.com/krakow/

 

王道の旧市街地ガイドや、ユダヤ人街、第二次世界大戦などがあります。残念ながら日本語のガイドはありませんが、英語のツアーはほぼ毎日あるので時間があればお勧めします!!

 

 

まず!!クラクフとは!

ポーランド南部にあるポーランド第2の都市です。クラクフには「カジミエシュ」という15世紀ごろからユダヤ人が住んでいたエリアがあります。第2次世界大戦の前にはクラクフの人口の4分の1にあたる約6万4000人が住んでいたそうです。下の地図の上側の赤い線で囲われているところです。

 

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そして、下側の丸は「ゲットー」です。ゲットーとは、第2次世界大戦中にユダヤ人が強制的に住まわされた地域です。3000人ほどが住んでいた場所に、約1万5000人ほどが暮らしていたそうです。

 

私が参加したツアーはホロコースト第二次世界大戦中にナチスによって行われたユダヤ人大虐殺)に関するもので、集合場所はカジミエシュにある民族学博物館前でした。

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黄色い傘をもったガイドさんが15分くらい前に来て待っていてくれます。予約はいらないので、参加したいツアーを確認して、開始時間に集合場所に行くだけで大丈夫です。どうでもいいことですが、ヨーロッパで英語を示す国旗はイギリスなんですよね。当たり前ですね。日本だとアメリカの国旗が使われがちだから、留学したてのころは不思議な感じがしました。

 

脱線しました。ガイドのお姉さんは、大学院でユダヤについて勉強したかわいらしい方でした。ポーランド人ということでそこまで英語のスピードも速くなく聞き取りやすかったです!参加者は10人くらいでした。始まる前にこのツアーをやっている会社のはなしとか、口コミお願いね~みたいな話があって、いよいよウォーキングツアースタートです!


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不思議なモニュメントがくっついてる橋を渡って、カジミエシュからゲットーに歩きます。地図を見るとわかる通り、ゲットーの一辺は川に沿ってて、もう一方には山があります。中からユダヤ人が逃げ出さないために、壁がめぐらされていましたが、川や山という自然をうまく使ってさらに囲っていたそうです。鎌倉幕府が一方が海で、三方が山で囲んでいたのを利用していたのと似ていますね。

 


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ゲットーの入り口の近くにある広場と教会です。教会の色がどうたらって話してたけど、まるで覚えてないしメモも残ってないです…何してるんだか😇

 

この近くにあるビルの前でガイドさんが、ゲットーに住んでた1人の少年の話をしていました。彼の名前はロマンポランスキー。聞いたことがある方もいるかもしれません。「The pianist」という映画の監督です。日本名だと戦場のピアニストです。

彼が幼いころゲットーの隅にある家に住んでいましたが、父親が有刺鉄線を切って、彼だけを脱走させたそうです。その後はポーランドで映画を学び、俳優、そして映画監督として活躍しました。調べてみると、有名になってからは女性関係の問題が多かったみたいですね。

戦場のピアニスト」はまだ見ていないので早いうちにちゃんと見たいと思います。

 

 


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これはゲットーの囲いであった壁です。真ん中の案内板がなければスルーしてしまいそうになります。形がユダヤ人のお墓の形に似せてあるといっていましたと思います。(調べてみるとお墓にもいくつか種類があるようで、これに似てるものもありました。)精神的にくるものがあったのではないでしょうか。ゲットーがあった時代はゲットーの周りを囲うように壁があり、門には人が立って逃げられないように見張っていたと思うと、ほぼ収容所ですね。

 

ガイドさんがゲットーの中は「色のない生活」と言っていたのが印象に残っています。人口密度が高く、食べ物はもちろん足りません。植物もなくなっていって、天気も悪い。そんな中で、労働者は毎日ゲットーから工場に連れていかれて、12時間働かされて、戻ってから点呼があるような生活だったそうです。本当に薄暗い町だったのに加えて、過酷な状態を表した「色のない生活」だったんだろうと思います。


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ゲットーのメインゲートがあった英雄広場です。この広場は、ゲットーのメインゲートでもあり、ユダヤ人が強制収容所絶滅収容所に連れていかれる出発点でした。ここで多くのユダヤ人は選別され、ここで殺害されたり、アウシュビッツに送られたりしました。

この広場の由来はこの広場に面した薬局からです。そこの薬局には、ゲットーに住む唯一のユダヤ人ではない人がいました。彼はTadeusz Pankiewiczという薬剤師で、ゲットーに住むユダヤ人を支援していたそうです。その薬局がこの広場に面したところにあるので、英雄広場と呼ばれています。今でもその薬局は残っていて、博物館になっています。

 

1番気になるのが椅子のモニュメントたち。全部で33個あります。ここの話はよく聞き取れなったのですが、調べてみると、移住の際(収容所へ)にこの広場に椅子をもってきた姿が印象だったからというのが理由だそうです。おもちゃはもっていけなかったかた子供が運んだとか、ユダヤ人が持ってきた家具が散乱していたからなど、色んな説があるようです。

 

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1941-1943はゲットーがあった期間を示しています。

 

 

この広場から歩いて10分ほどのところにある、「シンドラーのリスト」の舞台であるシンドラーの工場の前でガイドは終わりです。

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シンドラーミュージアムはこの前日に行ってたので、私はこのまま宿に帰りましたが、このツアーのあとに行った方が理解できただろうなぁと思いました。ミュージアムは工場の話というよりは、ホロコースト、特にクラクフでのホロコーストについてを展示してあります。展示にも工夫があって面白いので、ツアーの後にでも行くことをお勧めします。

 

少し前にツイッター上である有名人が「アウシュビッツはねつ造だ」といって、軽く炎上していましたね。クラクフを訪れる前の私は、ホロコーストはあっただろうけど自分の目で見たわけでもないしわからないなくらいに思っていましたが、アウシュビッツとゲットーを自分の目で見たらねつ造だなんて言えなくなりました。聞いたもの、見たものを鵜呑みにしていくのは違うと思うので、自分なりにちゃんと考えていきたいなと思います。とにかく知識不足だし、意見を言うには政治の見方が入ってきてしまって、発信するべきではない気がするので、これくらいにしておきます。本当に難しい!!ただこの悲劇は繰り返してはいけないっていうのだけは伝えていきたい!!

 

以上、クラクフホロコーストのフリーウォーキングツアーについてでした☺︎

 

アーランダ空港からストックホルム市内までSLカードで行く最安ルート

ストックホルムに留学しながら、あちこち旅行に行ってるわけですが、市内から空港から少し離れてるせいで、交通費が高いです。バイトもできない留学生なので節約したいということで、最安ルートを紹介します。

 

ストックホルムの国際空港、アーランダ空港からストックホルム市内・セントラルステーションまでの行き方はいくつもあります。

 

  1. アーランダエクスプレス
  2. タクシー
  3. 電車
  4. バス (flygbussarna, flix bus)
  5. 市バス& 電車( pendeltåg)

 

上の4つは割とどこにでも載ってる行き方です。ただ全部割と高いんですよねー。アーランダエクスプレスとタクシーはめちゃくちゃ高いので使ったことない、電車もそこそこ高いので使ったことない、バスは荷物多い時は仕方なく使ってるってかんじです。

 

ちょっと時間かかるけど、市バスと電車だけでいけるルートを日本語で紹介してるサイトがなかったので残しておきまーす!!

 

 

チケットを買う

その前にチケットが売ってるところまで行かなきゃ行けません。基本的に国際便が着くのはターミナル5なので、そこからのルートを紹介します。

出口をでてまっすぐ進んで、Sky city に向かいます。歩いて5分くらいですね。

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下の写真の右のカウンターで買えると思います。(SLカードをすでに持ってる人は奥の機械でチャージできます)

 

ストックホルム市内のバス、トラム、メトロ、電車のチケットは共通です。

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20クローネでこのようなプラスチックのカードが買えます。SLカードといい、ストックホルム市内の公共の乗り物は全部これでいけます。左の紺色のカードはカウンターで買ったもの、右の黄色いのはコンビニで買ったものです。そこに24時間、72時間、7日間チケット分をチャージするって感じです。

アプリでもシングルチケット(75分間有効)が買えます。

App名: SL-Journey planner and tickets

デベロッパ: AB Storstockholms Lokaltrafik

 

※ちなみにすでにSLカードを持っているorシングルチケットをアプリで買った場合、ターミナル5を出てすぐのバス停からも乗れます!Flygsbussよりもっと奥に行ったところにバス停があります。

 

 

バスに乗る

無事チケットを買えたらバス停へ向かいます!

さっきのカウンターの逆側に、下に降りるエスカレーターがあるのでそれにのってくだります。

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外に出るともうバス停は目の前!
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このバス停を見つけられたらそこであってます◎


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583番 Märsta station 行きに乗ります!!確か昼は15分おきくらい、夜でも30分おきくらいであったはず

アプリやGoogleマップを使って時刻表を調べるとしたら、sky city → Märsta station で調べると出てきます。

 

電車に乗り換える

そのバスの終点がMärsta station なので、そこで降りて電車に乗り換えです。

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ホームは1つしかない上に、電車は始発で、電光掲示板にStockholm city って書いてあるのですぐわかると思います。

 

それに乗って30分くらいでStockholm City に到着です!

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ちょっとめんどくさいし、時間もかかるので、荷物多い人にはオススメしないけど、そうじゃなきゃSLカードだけでいけるので便利です!

以上、空港から駅までの最安ルートでした◎ 

 

 

 

 

 

ウィンタースポーツたち 【スウェーデン留学】

こんにちは〜!

 

急にあったかくなって、雪も一気に溶けて、5度を超える日もあって、あれ?もう春が来たかな??って思えるくらいの季節になりました。氷点下での生活にすっかり慣れて、5度ならあったかいね!って言ってしまってます。人間の適応能力すごい!!

 

そんなことはどうでもよくて!

今日は!ウィンタースポーツについて!

 

 

この留学中にスキーとスケートを1回ずつやって、アイスホッケーのゲームを1回見に行きました。全部2月の出来事です。12月には出来たというのにのんびりしすぎて、駆け込みました。しかもスケートは旅行先のラトビアでやりました😇

 

 

スキー

2月の半ばに友達と3人で、ストックホルムの南の方にあるスキー場へ行ってきました。セントラルから1時間ちょいで着くかな。

 

何を隠そうスキーは6年ぶり😇 友達の1人はスキー部所属、もう1人はスノボが趣味という、私だけが初心者でした😇😇 

この日は平日だったのでナイターのみの営業で、夕方4時〜10時まででしたが、終バスが8時なので、私たちは4時〜8時の4時間のみ!! スキー板レンタルとリフト券で5000円くらいですかね。日本の相場がわからないので何とも言えませんが、高いんですかね。わかりません。

 

今年のストックホルムの冬は短く、2月には氷点下から脱出し、かなりあったかくなっています。そのせいでゲレンデは雪というより氷で、滑るとゴゴゴゴゴって音がしました。

 

雪の状態がかなり悪い(友達談)よりも、さらに問題だったのはこのリフト!!!

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リフトってブランコみたいなのが流れてきて、それに乗って、ちょこんと座っていれば頂上まで連れてってくれるやつを想像してました。というか、6年前はそれだった。それしかなかった。

 

ここにもブランコ型はあったものの平日の夕方で人が少ないせいか止まっていました。その代わりに、Tを逆さにした棒が流れてきて、これに乗って進んでいくとのこと。正確にいうと、逆さT字は2人乗りで、

 

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って感じにのります。気持ち悪い図が出来上がってしまった…。お尻の下のところに横棒を引っ掛けて、縦棒に捕まって、足は下についたまんま引っ張られていきます。繋がってる部分は伸び縮みする紐になっています。

これがまじでむずかしい。ちょっと気をぬくとバランスを崩して、引っかかってる棒が抜けそうになるし、落ちたら止まらないし、どうしろというのって感じです。スノボの人はもっと大変だと思いますが、スウェーデンではスキー派が多いようです。

 

これ以上の説明は無理なのでやめます。とにかくたいへんだぁ!ものすごい怖い!!!ってことが伝わればいいんです。緊張しながら、何回かヒヤヒヤする場面がありつつ、頂上に着きました。 

 

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さっきも書いた通り、雪はゴリゴリで、私は6年ぶりだったので何も覚えていなくて、滑ったと言っていいのかわからないけど、何とか下山できました。

 

そのあとはずっと子供用らしき緩やかなところでのんびり練習していました。

 

そこのリフトは逆さT字ではなく、先っぽが丸くなっていて、そこをまたに挟んで引っ張られていくやつだったので、さっきのやつよりは安定してました。それでもやっぱり難しくて、小学校低学年くらいの子が何回もリフトで転んで泣いていました。難しいよね〜。

 

そんななか驚きの兄弟を発見。小学校入ってないかなくらいの子供たちは結構たくさんいましたが、この子たちが1番すごかった!!!

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躍動感に溢れていますが、右の子が5歳くらいで、左の子は3歳くらいだと思われます。おしゃぶりをくわえていました。1番左の人がお父さんらしき人。この子たちは私やまだまだ練習中の小学生たちよりも、軽やかに下っていきました。あの難しいリフトにも1人で乗っていました。スキー英才教育…。日本でも雪国ではこんな感じなんですかね??? 神奈川育ちの私にはかなり衝撃的な場面で、さすがスウェーデン!!と思った出来事でした◎

 

平日の夕方ということで、地元の人だらけのスキー場で、ビビってはいたものの、何とか滑れたのでとても楽しかったです。次の日、全身筋肉痛であったことは言うまでもありません。

 

 

 

アイスホッケー

アイスホッケーは観戦です。チケットは180クローネ(約2300円)。

私が見に行ったゲームはストックホルム大学対マルメ大学。マルメはデンマークコペンハーゲンからすぐのところにある、スウェーデンの南にある町です。

 

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入場はライブの演出とかであるような、火が上がってる中選手が入ってきます。試合が行われたのはストックホルム市内なので、ほとんどの観客がストックホルム大学を応援しているようで、マルメ大学の選手が入場してる時はずっとブーイングをしていました😇 

 

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ゲームは20分を3セット。間は15分の休憩です。一番びっくりしたのはいつでも選手交代していいということ!隣に座ってたおじさんが色々教えてくれました。ありがとう!!

 

 

応援している人たちは歌を歌っているか、ブーイングしてるかのどっちかでしたね〜

相手が有利になるとブーイングするっていうのが自分の中で納得いかなくて、気づけばマルメ大学を応援してました(笑)

 

これはいくら言葉で説明しても伝わらないから、ぜひ動画でも現場でも見てみてください!!!めちゃくちゃかっこよかった!!!!!!!!!またいきたい!!!!

 

 

アイススケート

ストックホルムにいる間にスケートしたいなぁって思いつつも、ぼーっとしてたらシーズンが終わったのでラトビアのリガに旅行に行った時にやりました〜。貸し靴と入場料で5.5ユーロでした。安い。Lido leisure centre ってところでやりました。

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ここは日本のスケート場と特に変わりはなかったですね。約10年ぶりのスケートで思ったより滑れなかったのがショックでした!!!

 

ちなみにストックホルムにもスケート場はいくつかあって、入場料はかかりません。スケート靴を持ってれば、いつでも無料で楽しめます。スイスイ滑っている人たちもいたし、アイスホッケーの練習している子どもたちもいました。

 

 

ストックホルムのウィンタースポーツたちでした!日が短く、寒くて暗い冬、唯一外でも楽しいアクティビティーでした◎

人種差別のはなし

こんにちは!

 

タイトルの通り人種差別の話です。

外国で過ごす人なら避けては通れない話だし、日本にいてもたびたび目にする話題ですね。すごいセンシティブな話題でどこまで踏み込んでいいのか分からないし、かなり私の経験と主観が入ってしまうんですけど、せっかくなので残しておきたいと思います。

 

 

人種差別について考えたのは、ついこないだのこと。韓国人の友達をご飯を食べていたら、その子たちがこんなことを言ってました。

 

「コリドー(寮)のヨーロッパ人が他の人には挨拶するのに、自分たちのことは無視する。」

「イングリッシュネームをヨーロッパ人につけろと言われてつけたのに、笑われた上に、覚えてもらえない。」

 

イングリッシュネームとは、アジア人(特に韓国人、中国人)の名前は、他の国の人からしたら発音しにくいので、呼んでもらいやすく覚えてもらいやすいようにつける英語の名前です。ちなみに私もフィリピンに語学留学するときにつけようとしましたが、私の名前は発音しやすいから必要ないってアメリカ人に言われたのでやめました。自分の名前が好きなので、多少発音間違われても自分の本名を使っていたいと私は思います。

 

 

話が脱線しましたね😇 で、そのあとにその友達は「私がアジア人だから、人種差別だ、ヨーロッパ人はみんな嫌がってる」みたいなことを言ってました。他の韓国人もヨーロッパ人はアジア人差別するから仲良くなんて出来ないよって私に言ってきました。

 

 

そこにアジア人である私はひっかかってしまいました。私は幸いなことに自分が人種差別にあってるとかんじたことはありません。アメリカやニュージーランドに数週間滞在したこともあるし、スウェーデンで留学生と同じ寮で生活し始めてからもう半年がたちます。色んなところにひとりで行って、ホステルなどで色んな人に出会ってきました。そこでいきなり無視されたし、笑われたりすることは今まで1度もありません。

 

英語が今よりもっと出来ない時、私が英語出来ないせいで、伝わらなくてイラついてるのかなとかそんなことは感じたことがあります。でもそれは私が「アジア人・日本人」であるからではなくて、私と「英語でコミュニケーションがとれない」からだと思っています。

 

 

実際、相手がどう思っているかなんてわかりません。こないだのアウシュビッツのあとがきに書いたように、人間は平等に全員を見ることはできません。自分の中で人種や職業などで優劣をつけてしまっているかもしれません。でも、そんなことで優劣はあるべきではないって普通の人間なら理解してるので、考えることも感じることもないし、もしも思っていても思ってることを表にだすことはしません。でも、態度に出なければ私が知ることはないのでそれでいいんです。もちろんないに越したことはないですけどね!!!!!

 

 

オーストラリア人・イタリア人・カナダ人・ドイツ人・アメリカ人など今まで世界中のホステルで出会った旅人たちにも差別されたって感じたことはありません。

同じコリドーに住むイタリア人とスペイン人は、初めて会った時から笑顔で話しかけてくれました。自己紹介をして、2回目に会った時には名前を呼んでくれました。

スウェーデンは移民が多い国だし、昔から寛容な国なので、街中で差別されることはほぼないと思っていいと思います。

 

 

私がいい人たちに恵まれているだけで運がいいのかなって思うけど、それはそれで幸せなことです。旅人や留学生は外国人に会うことに慣れているので差別しないだけでしょって思うけど、韓国人が言ってた差別してきた人たちも、私が仲良くしている留学生と同じ留学生です。

 

なんで彼女たちは差別されてると思うのに、私と友達(日本人)はそう感じないんでしょうか。単に韓国人3人だけがそういうことがあって、私たち日本人(3人)だけないってことなんでしょうか。同じところで同じような生活をしているのに本当に偶然なのかなとか考えてしまいました。

 

 

ここからは推測ですが、韓国人の友達は「自分たちのほうが欧米人より劣っている」っていう意識があるのかなと思いました。何か嫌な目にあった時、あの人たちが自分たちを差別しているから嫌なことをしてくるんだって思うようにできているというか。大げさにいうと、何かあったときに、すべてを人種差別のせいにしてしまうのかなとも思います。

 

留学当初の私は、パーティーが嫌いなこと、人と会いたくないこと、授業がつまらないことを全部英語ができないせいにしていました。英語が出来ないからパーティーは嫌い。英語が出来ないから人と会って話したくない。英語だから授業がハードに感じてつまらない。でも、そんなことはなくて、お酒が苦手でうるさいところがあんまり好きじゃないからパーティーは嫌いで、ずっと人といるのは苦手で昔からひとりの時間が絶対必要だったし、日本でも大学の授業は楽しい!!って受けていたわけではありませんでした。

でも、「全部英語のせいだ」って思うと、正当化されたみたいで気が楽でした。英語が出来ないから仕方ないよね(仕方なくないし、英語できるようにならなきゃいけない)って思うと、すべてが許されるような感覚でした。

 

私の英語は100%自分のせいなので、違いますが、それと少し似たようなもので、何か自分にとってうまくいかないことを全て人種差別されてるって思えば、全部相手のせいにできるのです。自分が堂々と話してなくても、その場所のルールを守ってなくても、自分が悪くても、人種差別のせいだっていえば、自分を守ることが出来てしまうのです。

 

人種差別されたって言ってた3人がたまたま韓国人だったのか、多くの韓国人がそう言ってるのかはわかりません。もし後者なら、教育や社会が関係しそうですね。その辺わかる人教えてください。

 

 

というか、そもそも人種差別のするような人に出会う機会はこれからほとんどないような気がします。旅先のホステルで出会うような人は、もう色んな人に出会っているから差別するような人はほとんどいないでしょう。留学先で出会う留学生は、留学してるくらいなので差別するような人はほとんどいないでしょう。

人種差別するような人は、自分の国から出ないし、関わろうとしないはずなので、関係ないはず!!!!

 

実際差別されてたって、そんなの私は何も悪くないんだから堂々としてればいいし、言いたいことは言わなきゃいけないし、差別してくるからヨーロッパ人は嫌いだっていえば私が差別していることになります。

 

だから、いつだって私は私で、私は日本人でいることを誇りに思っていたいし、人を人種じゃなくてひとりひとりを好きになっていけたらいいなぁ〜と思っています。

 

 

おわり☺︎

 

 

ある冬の日【スウェーデン留学】

こんにちは。

旅行のことばっかり書いて、スウェーデン留学のこと全然書いてないじゃんってことに気づきました。今は当たり前に過ごしてるここでの生活も何年か経って見返せば、立派な思い出になってると思うので残しておきます。

 

最近は雪がひどくて、バスや電車が通常通り動かない日もあり、外に出るのがとにかく億劫なので、寮でのんびりする日が増えました。  雪の上を歩くのって本当に疲れるんですよね。

 

太陽出てる時間が短かったので、太陽が出てる時間は起きていたいと思うようになりました。だから8時半〜9時くらいに太陽とともに起きて、朝ごはんを食べます。スウェーデンぽいもの食べればいいのに、ここに来てまで米を炊いてます。お茶漬け食べたり、昨日の残りのおかずと食べたり、日本にいる時とあんまかわりませんね。自炊するとついつい今まで家で食べてたものを作りがちです。

スウェーデンぽいものっていうとクラッカーにチーズのせたりするのかな?? 友達や妹が遊びに来るのでやってみます。

 

そのあとは友達とコモンキッチンのテーブルで、各々作業することが多いです。 今学期のコリドー(寮)メイトはみんな優しくて、パーティー好きがあんまりいないので、コモンキッチンは綺麗だし、居心地がかなりいいです。

 

一緒にご飯作ったり、シェアしたり、おしゃべりしたり、おかし食べたりと、グダグダと過ごすことが多いです。

前のセメスターは部屋から出る気が起きないくらいクズだったので、コモンキッチンでおしゃべり出来るようになったのは自分としてはかなりの成長です☺︎

 

留学する前はヨーロッパ人はみんな英語ペラペラっていう印象があったので、人と英語で話すのが怖かったんです。でも、意外とそんなこともなくて、全体としてスペイン人とイタリア人はそんなこともないなと思います。もちろん日本人でペラペラの人がいるように、スペイン人、イタリア人でもペラペラな人はいます。ただその割合が、スウェーデン人やドイツ人、オランダ人よりは少ないなという印象!!

 

コリドーのシェアキッチンによくいるのが、イタリア人とスペイン人なので3人でのんびりとおしゃべりすることが多いです☺︎すごく楽しい☺︎

 

話を戻します。

そんな感じで、課題やったり、就活調べてみたり、旅行計画したり、課外活動の準備をしたりと、作業しながらのんびりと過ごしています。

 

 

もちろん、Fika (フィーカ)もします。

fikaとはコーヒーブレイクみたいなもので、スウェーデン文化の1つです。外国人には理解できない深い意味があるだろうけど、コーヒーとシナモンロール(カネルブッラ)をいただきながら休憩することみたいなかんじです。

 

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スーパーでは冷凍のシナモンロールが売っています。この日は友達がそれを持ってきてくれたのを食べました☺︎

 

 

 

スウェーデンの冬らしく、あったかいところから、外の雪を眺めたり、静かにのんびり過ごしたりしていて、ストレスもなく幸せで穏やかな日々って感じですかね。

 

 

留学も半分が終わり、9月の頃はこのまま留学が終わらないんじゃないかって思うほどのんびり過ぎていた時間も、今では日常となりそこそこのスピードで過ぎていきます。無気力で、頑張れなかった最初の半年を経て、ようやく慣れてきてパワフルに活動していた日本にいた頃の私に近づいてきました。

 

残り4ヶ月ちょっとで何かできるのかわからないけど、スウェーデンライフを満喫しながら、後悔がない留学生活にしたいなぁと毎日思ってます。 とりあえずは取りたかった授業2つが最終タームで待っているのでそれを頑張ること、今やってる課外活動(いつか別でかきたいな〜)を責任持ってやりきること、英語できますって言えるくらいには使えるようになることを目標にやっていきたいと思います。

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~あとがき~

こんにちは~!

長々と3回に分けて書いてきたアウシュビッツ収容所訪問記ですが、これで最後です。

 

アウシュビッツ収容所に行くことを決めてから、実際に行くまではこちらから!

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~準備編~ - どこかにある何かを探して。

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた〜現場編①〜 - どこかにある何かを探して。

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~現場編②~ - どこかにある何かを探して。

 

ブログを読んだ友達から行ってみたいって言われたり、実際にもう予約までした友達もいるし、長文の感想を送っていくれる友達までいて、とてもうれしいな~と思っています。

 

というのも、わざわざアウシュビッツ収容所に自分から行きたいっていう人がそんなにいると思ってなかったから、反応をもらえたのがすごく嬉しかったんです。日本から遠く離れたヨーロッパにはフランスやイタリアなど、たくさん観光スポットがあって、おしゃれで、テレビやSNSを通してよく見る有名な場所がたくさんあります。ヨーロッパに気軽に旅行するほど大学生はお金はないし、どうせ行くなら綺麗な街並みを見たいと思うのは当然です。

 

それに対してアウシュビッツは、ポーランドの南にあるクラクフという名前も知らないような街からさらにバスで何時間もかかる超へんぴなところにあって、行っても楽しくはないです。綺麗だ~って目をキラキラさせるどころが、暗い気持ちになります。インスタに載せるようなオシャレな写真を撮れないどころか、写真を撮るのを戸惑うくらい衝撃的な展示物もたくさんあります。

 

行ったきっかけを3つ前のブログに、きれいな街並みに飽きたからなんてことを書いたと思いますが、本当にそうなんです。何か他の人と違うことしてみたいなぁくらいの感じです。

 

ただ自分が思っていたより衝撃的だったし、日本ではほとんど触れないような内容なのにヨーロッパの国々ではEU全体で歴史教育について考えているっていうのにもびっくりました。EU内には加害者も被害者もいて、もちろんとらえ方は変わってくるはずなのに、全体で向き合っていく姿勢というか、何ていっていいかわからないけど、日本はこのままでいいのかな~って思ったり。私に何か出来るわけではないから、とりあえず周りの人にもまずは知ってもらいたいな~って今は思います。

 

 

ガイドの中谷さんが「差別をしてなくても、人間は差をつけている」とおっしゃっていたのが印象に残っているので紹介します。

人類みな平等だって思っているけど、そんなことはない。絶対心の中で他人を下に見たり、上に見たりしている。でも、余裕があれば、そんなのは表に出さずに、心の中で思っているけど、ここではそうではなかった。

アウシュビッツ収容所にはユダヤ人だけでなく、社会から差別されていた障碍者、同性愛者、浮浪者、ロマなどの人たちも収容されていました。その中でも序列がありました。お互いに恨みあい、監視しあっていました。

 

今でももちろん差別はあります。ニューヨークの地下鉄でアジア人差別をした人の動画がツイッターで話題になっていましたね。でも、それを非難する人たちがたくさんいるので表向きに発信する人はほとんどいません。表向きは人類みな平等で、同じ権利をもつべきだと思わなければいけません。

ただ全員が心の底から本心で思っているのでしょうか。日本の外国人労働者であるからということだけを理由に給料が低いのは何ででしょうか?住むところを失った難民を跳ね返すのは何ででしょうか?  自分を守るために他人を下げるしかないからじゃないかと私は思います。外国人労働者の給料をいきなり全部一緒にしろ!難民を全部受け入れろ!といっているわけではないです。そうできない理由がどこかにあるっていうことです。

 

たとえとして微妙かもしれないですが、ウィーンに行ったとき韓国人の団体客が写真撮影禁止エリアで大騒ぎしながら写真を撮りまくって、注意されているのにも関わらず撮り続けているのを見て、これだから韓国人は…と思ってしまいました。私には韓国人の友達は何人もいて、みんな優しくていい子なのも知っているのにそう思ってしまいました。韓国人の友達ひとりひとりは大好きでこれからも仲良くしていきたいと心の底から思っていますが、韓国人全体としては日本人のほうが…と思っていたのだと思います。

 

それが今、国単位で隠れていた差別意識が表に出てきています。共存主義から一国主義に流れが変わろうとしています。みんなで協力していい世界をつくろうから、自分の国が良ければいいんだという考えに変わりつつあります。

表向きにはみんなで頑張ろうであるべきだと思いますが、一国主義にかわらなきゃいけない背景があって、そう簡単に理解することは出来ないけれど、理解しようとはしなければならない気がします。

 

だんだんと話が脱線していきましたが、歴史から学ぶってこういうことなのかな~っていうのを何となくわかったような気がします。

 

~気がしますって続くのは、いまだに私自身がわかってはいないからです。まだまだ勉強しなきゃいけないことも、考えなきゃいけないこともたくさんあります。せっかく大学で政治学を学び、留学までして、アウシュビッツを自分の目で見てきたんだから、これからも興味を持っていたいと思います!!!!

 

長くなってしまったけど、おわり!!!!!!

直接現場にいけなくても、本や映画はたくさんあるので興味ある人はぜひ見てみてください。そして、よければ感想を聞かせてください。

 

 

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~現場編②~

前回と前々回に引き続き、現場編②です。

resa96.hatenablog.jp

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前回はアウシュビッツ第一収容所を見たところで終わりました。

そのあと約3キロ離れたアウシュビッツ第二収容所 ビルケナウまで、バスで向かいます。10分だか15分おきにでていて、無料で乗ることが出来ます。移動時間は中谷さんとガイド参加者のお兄さんとおしゃべりです。スウェーデンに留学中で~って話をしたら、スウェーデンにはユダヤ人を10万人以上救ったラウル・ワレンバークという外交官がいるから調べてみるといいかもねと言われました。ちなみにシンドラーのリストシンドラーが救ったユダヤ人が約1200人、杉原千畝が救ったのは約6000人です。

 

前回、日本人は年間3万人ほど訪れると書きました。その中には若い人もかなりいて、特にこれからの時期は学生の春休みなので、ガイドの定員30人がいっぱいになることもあるそうです。打算的ではあるけど、アウシュビッツに行ったって就活でも使えることがあるらしいよ~って言われました。絶賛就活中の私ですが、いまいち使い方はわかんないし、それが目的で来るのはどうかと思うけど、それほど重要な遺跡であることは間違いなさそうです。

 

さて!10分ほどバスに揺られるとビルケナウに到着です。

アウシュビッツの写真として教科書などで見るのは、前回書いた門とこの入り口ではないでしょうか。基本的には天気のいい夏の写真を使っているので、ピンとこない人は調べてみてください。見たことあると思います。

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これは収容所の中からみた景色です。ここが50万人以上のユダヤ人を乗せた列車の終点です。


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この小さな列車に70人ほどが詰め込まれて、遠いところだと何日もかけて終点であるビルケナウにやってきます。


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私の手書きのメモなので汚いのは許してください。門を入って、列車が止まっているところをランペ(降車場)と呼び、ここでユダヤ人は降ろされます。列車から続いてる小さい丸○はユダヤ人の列を表していて、その先にSS(ナチスの親衛隊)の医者がいます。その医者が新しく来たユダヤ人を”選別”します。ぱっと顔みて、「はい、右。左。」って働けそうな元気な人は収容し、そうじゃない人(子供や年寄り)はそのままガス室へ。とっても優秀なお医者さんが、送られてきた人たちに触れることなく、ただ顔色だけを見て、選別をしていったそうです。約8割の人がガス室に直行です。収容されたのはたった2割しかいませんでした。

 

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これがガス室へ向かう道のりです。前に見えるのはガイドの中谷さんです。

収容所の建物を横目にどんな思いで歩いていたんだろうって思いながら、歩きにくい雪の道を歩いていきます。


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これがガス室の跡です。ナチスは戦争に負けることがわかると証拠隠滅のためにガス室を爆破しましたが、跡は今でも残っています。雪が積もっていてしっかりは見えませんでしたが、形は分かります。前に書いたように、約8割の人はガス室に直行します。しかし、彼らにはガス室で殺すからついてこいなんて言うわけもなく、シャワーを浴びるシャワー室に行くと伝えます。ガス室には脱衣所があり、服をかけるハンガーまであります。そこで服を脱ぎ、髪をかられました。もちろんガス室に シャワーを浴びに行った 人たちがその服を着ることは2度とありませんでした。

 

ガス室で有名なアウシュビッツですが、できた当初からガス室はあったわけではありません。そもそもナチスユダヤ人を「殺す」「虐殺する」なんて言葉は使っていないのです。「ユダヤ人問題の最終的解決」として、ガス室を始動させたのです。ユダヤ人を劣性として、優性のみを残すための政策でした。なんでユダヤ人がターゲットになったのかなどは長くなるので割愛しますが、この辺は難しくていまだによくわかないので、もっと調べてみたいと思います。とにかく収容する場所が足りなくなったので、殺すしかなくなってしまいました。多い時で1日4000人がここにあったガス室で亡くなりました。

ガス室を使うようになった理由の1つには銃殺する側の精神面を考慮したというのもあるそうです。そのため、ここで働いていたのは収容されていたユダヤ人でした。遺体を運び出し、併設する焼却炉にいれる仕事をやっていたそうです。

 

ちょっと脱線しますが、私が書いたメモの中に汚水とかいた丸があるのに気づいたでしょうか。左のガス室の隣です。

ここでは何万人もの被収容者が生活しているので、生活排水がでます。その汚水を処理してから川に流していたそうです。今なら当たり前だし、自然のことを考えたら当然じゃんと思いますが、なんでガス室で大量に人を殺せる人が自然を気にしていたんでしょうかと中谷さんはおっしゃっていました。この汚水はユダヤ人が出したものだって言えば、そのまま流してもよさそうなのに、自然には配慮していたそうです。

ユダヤ人への恨みなのか、とにかく当時のナチス、SSの人としての感覚が今の私たちと全然違うことはわかります。

 


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レンガでできた収容所の建物。建物の真ん中には暖房がありました。その近くで寝れるのは、被収容者のなかでもいい地位にいるひとたちです。寒い時は-30度まで下がるので暖房がありますが、あっためるためではなく、死なない程度の気温にするためでした。


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こちらは木造の建物。二段ベットの1段に4~5人が詰め込まれました。真ん中にある石のテーブルみたいなものは暖房です。

木造の建物はなくなっているものが多かったのですが、それは暖房の薪木として使われたからだそうです。

 

これで中谷さんのガイドは終わりでした。

ここで起こった事実を淡々と話すというよりは、私たちに考えさせるような内容でした。ちょっと早口で、知識不足のせいかたまについていけなくなりそうなときもありましたが、濃い3時間でした。ナチスが悪いって一言で終わらせるのではなくて、ナチスを選んだドイツはどうなってこうなってしまったの?ってきっと答えは1つじゃないような、現代にも通じそうな話がたくさん聞けました。

 

今のドイツはナチスのことをしっかり学校で教えて、高校の卒業試験でここしか出さないからちゃんと勉強しろよってしっかり考えさせているのに対し、日本は加害者として朝鮮や台湾をどう教わって考えているのでしょうか。日本の教育が悪いって言い訳してないで、自分で学んでいかなきゃですね。

またナチスは民主主義で選ばれました。ポピュリズム大衆迎合主義)もかなり重要なワードです。多数派が勝って権力を手に入れ続けたら、どうなっていくんでしょうか。

 

私の専攻は政治学で、ゼミのテーマは東アジアの比較政治なので、朝鮮との歴史認識問題について触れたこともあるし、ポピュリズムについてのレポートも書いたことがありますが、思ったより身になってなくて落ち込みました。それに加えて、ヨーロッパについてはほぼ知識がないし考える機会もなかったので、今回をきっかけに学んでいこうと思いました。

政治学は将来役に立たないだろうな~と思いながら授業を受けていたけど(面白いとは思っていましたよ!)、ようやく役に立つ場所が分かった気がします。

歴史を学ぶ意味も感じることが出来ました。

簡単に言えば、どちらも今後同じような悲劇を起こさないようにするためなのかなと私は思います。

 

まだ消化しきれていない部分もたくさんあるけど、いったんおわり!

歴史を学びながら、今のニュースもしっかり追いかけていこうと改めて思いました!!

 

※ガイドの内容やアウシュビッツの案内書、ドキュメンタリーなどからど素人の私がこのブログを書いたので、もしかしたら間違っているかもしれません。間違いがあったら教えて下さい。