どこかにある何かを探して。

旅と留学の記録と時々日記。

ホロコーストについてのフリーツアー in クラクフ

 

こんにちは☺

 

随分前にアウシュビッツについて色々と書きましたが、それに関連するお話です。ポーランドの南部にあるクラクフという街に4泊ほどして、そのうち1日はアウシュビッツへ、2日は有名観光地へ、あと1日はクラクフに残っているユダヤ人街やゲットーへ行き、ウォーキングツアーに参加しました。

 

 

私が参加したウォーキングツアーは「Holocaust traces in Krakow」です。クラクフホロコーストの跡地をガイドを聞きながらめぐりました。英語のフリーウォーキングツアーは全部で6つありました。フリーツアーなので参加費はかかりませんが、チップは払うべきだと思い、調べると20~40ズオチ(600~1200円)くらい払ったよ~ってトリップアドバイザーで見つけたので20ズオチ持って参加してきました。

 

 

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https://freewalkingtour.com/krakow/

 

王道の旧市街地ガイドや、ユダヤ人街、第二次世界大戦などがあります。残念ながら日本語のガイドはありませんが、英語のツアーはほぼ毎日あるので時間があればお勧めします!!

 

 

まず!!クラクフとは!

ポーランド南部にあるポーランド第2の都市です。クラクフには「カジミエシュ」という15世紀ごろからユダヤ人が住んでいたエリアがあります。第2次世界大戦の前にはクラクフの人口の4分の1にあたる約6万4000人が住んでいたそうです。下の地図の上側の赤い線で囲われているところです。

 

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そして、下側の丸は「ゲットー」です。ゲットーとは、第2次世界大戦中にユダヤ人が強制的に住まわされた地域です。3000人ほどが住んでいた場所に、約1万5000人ほどが暮らしていたそうです。

 

私が参加したツアーはホロコースト第二次世界大戦中にナチスによって行われたユダヤ人大虐殺)に関するもので、集合場所はカジミエシュにある民族学博物館前でした。

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黄色い傘をもったガイドさんが15分くらい前に来て待っていてくれます。予約はいらないので、参加したいツアーを確認して、開始時間に集合場所に行くだけで大丈夫です。どうでもいいことですが、ヨーロッパで英語を示す国旗はイギリスなんですよね。当たり前ですね。日本だとアメリカの国旗が使われがちだから、留学したてのころは不思議な感じがしました。

 

脱線しました。ガイドのお姉さんは、大学院でユダヤについて勉強したかわいらしい方でした。ポーランド人ということでそこまで英語のスピードも速くなく聞き取りやすかったです!参加者は10人くらいでした。始まる前にこのツアーをやっている会社のはなしとか、口コミお願いね~みたいな話があって、いよいよウォーキングツアースタートです!


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不思議なモニュメントがくっついてる橋を渡って、カジミエシュからゲットーに歩きます。地図を見るとわかる通り、ゲットーの一辺は川に沿ってて、もう一方には山があります。中からユダヤ人が逃げ出さないために、壁がめぐらされていましたが、川や山という自然をうまく使ってさらに囲っていたそうです。鎌倉幕府が一方が海で、三方が山で囲んでいたのを利用していたのと似ていますね。

 


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ゲットーの入り口の近くにある広場と教会です。教会の色がどうたらって話してたけど、まるで覚えてないしメモも残ってないです…何してるんだか😇

 

この近くにあるビルの前でガイドさんが、ゲットーに住んでた1人の少年の話をしていました。彼の名前はロマンポランスキー。聞いたことがある方もいるかもしれません。「The pianist」という映画の監督です。日本名だと戦場のピアニストです。

彼が幼いころゲットーの隅にある家に住んでいましたが、父親が有刺鉄線を切って、彼だけを脱走させたそうです。その後はポーランドで映画を学び、俳優、そして映画監督として活躍しました。調べてみると、有名になってからは女性関係の問題が多かったみたいですね。

戦場のピアニスト」はまだ見ていないので早いうちにちゃんと見たいと思います。

 

 


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これはゲットーの囲いであった壁です。真ん中の案内板がなければスルーしてしまいそうになります。形がユダヤ人のお墓の形に似せてあるといっていましたと思います。(調べてみるとお墓にもいくつか種類があるようで、これに似てるものもありました。)精神的にくるものがあったのではないでしょうか。ゲットーがあった時代はゲットーの周りを囲うように壁があり、門には人が立って逃げられないように見張っていたと思うと、ほぼ収容所ですね。

 

ガイドさんがゲットーの中は「色のない生活」と言っていたのが印象に残っています。人口密度が高く、食べ物はもちろん足りません。植物もなくなっていって、天気も悪い。そんな中で、労働者は毎日ゲットーから工場に連れていかれて、12時間働かされて、戻ってから点呼があるような生活だったそうです。本当に薄暗い町だったのに加えて、過酷な状態を表した「色のない生活」だったんだろうと思います。


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ゲットーのメインゲートがあった英雄広場です。この広場は、ゲットーのメインゲートでもあり、ユダヤ人が強制収容所絶滅収容所に連れていかれる出発点でした。ここで多くのユダヤ人は選別され、ここで殺害されたり、アウシュビッツに送られたりしました。

この広場の由来はこの広場に面した薬局からです。そこの薬局には、ゲットーに住む唯一のユダヤ人ではない人がいました。彼はTadeusz Pankiewiczという薬剤師で、ゲットーに住むユダヤ人を支援していたそうです。その薬局がこの広場に面したところにあるので、英雄広場と呼ばれています。今でもその薬局は残っていて、博物館になっています。

 

1番気になるのが椅子のモニュメントたち。全部で33個あります。ここの話はよく聞き取れなったのですが、調べてみると、移住の際(収容所へ)にこの広場に椅子をもってきた姿が印象だったからというのが理由だそうです。おもちゃはもっていけなかったかた子供が運んだとか、ユダヤ人が持ってきた家具が散乱していたからなど、色んな説があるようです。

 

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1941-1943はゲットーがあった期間を示しています。

 

 

この広場から歩いて10分ほどのところにある、「シンドラーのリスト」の舞台であるシンドラーの工場の前でガイドは終わりです。

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シンドラーミュージアムはこの前日に行ってたので、私はこのまま宿に帰りましたが、このツアーのあとに行った方が理解できただろうなぁと思いました。ミュージアムは工場の話というよりは、ホロコースト、特にクラクフでのホロコーストについてを展示してあります。展示にも工夫があって面白いので、ツアーの後にでも行くことをお勧めします。

 

少し前にツイッター上である有名人が「アウシュビッツはねつ造だ」といって、軽く炎上していましたね。クラクフを訪れる前の私は、ホロコーストはあっただろうけど自分の目で見たわけでもないしわからないなくらいに思っていましたが、アウシュビッツとゲットーを自分の目で見たらねつ造だなんて言えなくなりました。聞いたもの、見たものを鵜呑みにしていくのは違うと思うので、自分なりにちゃんと考えていきたいなと思います。とにかく知識不足だし、意見を言うには政治の見方が入ってきてしまって、発信するべきではない気がするので、これくらいにしておきます。本当に難しい!!ただこの悲劇は繰り返してはいけないっていうのだけは伝えていきたい!!

 

以上、クラクフホロコーストのフリーウォーキングツアーについてでした☺︎