どこかにある何かを探して。

旅と留学の記録と時々日記。

ある冬の日【スウェーデン留学】

こんにちは。

旅行のことばっかり書いて、スウェーデン留学のこと全然書いてないじゃんってことに気づきました。今は当たり前に過ごしてるここでの生活も何年か経って見返せば、立派な思い出になってると思うので残しておきます。

 

最近は雪がひどくて、バスや電車が通常通り動かない日もあり、外に出るのがとにかく億劫なので、寮でのんびりする日が増えました。  雪の上を歩くのって本当に疲れるんですよね。

 

太陽出てる時間が短かったので、太陽が出てる時間は起きていたいと思うようになりました。だから8時半〜9時くらいに太陽とともに起きて、朝ごはんを食べます。スウェーデンぽいもの食べればいいのに、ここに来てまで米を炊いてます。お茶漬け食べたり、昨日の残りのおかずと食べたり、日本にいる時とあんまかわりませんね。自炊するとついつい今まで家で食べてたものを作りがちです。

スウェーデンぽいものっていうとクラッカーにチーズのせたりするのかな?? 友達や妹が遊びに来るのでやってみます。

 

そのあとは友達とコモンキッチンのテーブルで、各々作業することが多いです。 今学期のコリドー(寮)メイトはみんな優しくて、パーティー好きがあんまりいないので、コモンキッチンは綺麗だし、居心地がかなりいいです。

 

一緒にご飯作ったり、シェアしたり、おしゃべりしたり、おかし食べたりと、グダグダと過ごすことが多いです。

前のセメスターは部屋から出る気が起きないくらいクズだったので、コモンキッチンでおしゃべり出来るようになったのは自分としてはかなりの成長です☺︎

 

留学する前はヨーロッパ人はみんな英語ペラペラっていう印象があったので、人と英語で話すのが怖かったんです。でも、意外とそんなこともなくて、全体としてスペイン人とイタリア人はそんなこともないなと思います。もちろん日本人でペラペラの人がいるように、スペイン人、イタリア人でもペラペラな人はいます。ただその割合が、スウェーデン人やドイツ人、オランダ人よりは少ないなという印象!!

 

コリドーのシェアキッチンによくいるのが、イタリア人とスペイン人なので3人でのんびりとおしゃべりすることが多いです☺︎すごく楽しい☺︎

 

話を戻します。

そんな感じで、課題やったり、就活調べてみたり、旅行計画したり、課外活動の準備をしたりと、作業しながらのんびりと過ごしています。

 

 

もちろん、Fika (フィーカ)もします。

fikaとはコーヒーブレイクみたいなもので、スウェーデン文化の1つです。外国人には理解できない深い意味があるだろうけど、コーヒーとシナモンロール(カネルブッラ)をいただきながら休憩することみたいなかんじです。

 

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スーパーでは冷凍のシナモンロールが売っています。この日は友達がそれを持ってきてくれたのを食べました☺︎

 

 

 

スウェーデンの冬らしく、あったかいところから、外の雪を眺めたり、静かにのんびり過ごしたりしていて、ストレスもなく幸せで穏やかな日々って感じですかね。

 

 

留学も半分が終わり、9月の頃はこのまま留学が終わらないんじゃないかって思うほどのんびり過ぎていた時間も、今では日常となりそこそこのスピードで過ぎていきます。無気力で、頑張れなかった最初の半年を経て、ようやく慣れてきてパワフルに活動していた日本にいた頃の私に近づいてきました。

 

残り4ヶ月ちょっとで何かできるのかわからないけど、スウェーデンライフを満喫しながら、後悔がない留学生活にしたいなぁと毎日思ってます。 とりあえずは取りたかった授業2つが最終タームで待っているのでそれを頑張ること、今やってる課外活動(いつか別でかきたいな〜)を責任持ってやりきること、英語できますって言えるくらいには使えるようになることを目標にやっていきたいと思います。

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~あとがき~

こんにちは~!

長々と3回に分けて書いてきたアウシュビッツ収容所訪問記ですが、これで最後です。

 

アウシュビッツ収容所に行くことを決めてから、実際に行くまではこちらから!

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~準備編~ - どこかにある何かを探して。

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた〜現場編①〜 - どこかにある何かを探して。

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~現場編②~ - どこかにある何かを探して。

 

ブログを読んだ友達から行ってみたいって言われたり、実際にもう予約までした友達もいるし、長文の感想を送っていくれる友達までいて、とてもうれしいな~と思っています。

 

というのも、わざわざアウシュビッツ収容所に自分から行きたいっていう人がそんなにいると思ってなかったから、反応をもらえたのがすごく嬉しかったんです。日本から遠く離れたヨーロッパにはフランスやイタリアなど、たくさん観光スポットがあって、おしゃれで、テレビやSNSを通してよく見る有名な場所がたくさんあります。ヨーロッパに気軽に旅行するほど大学生はお金はないし、どうせ行くなら綺麗な街並みを見たいと思うのは当然です。

 

それに対してアウシュビッツは、ポーランドの南にあるクラクフという名前も知らないような街からさらにバスで何時間もかかる超へんぴなところにあって、行っても楽しくはないです。綺麗だ~って目をキラキラさせるどころが、暗い気持ちになります。インスタに載せるようなオシャレな写真を撮れないどころか、写真を撮るのを戸惑うくらい衝撃的な展示物もたくさんあります。

 

行ったきっかけを3つ前のブログに、きれいな街並みに飽きたからなんてことを書いたと思いますが、本当にそうなんです。何か他の人と違うことしてみたいなぁくらいの感じです。

 

ただ自分が思っていたより衝撃的だったし、日本ではほとんど触れないような内容なのにヨーロッパの国々ではEU全体で歴史教育について考えているっていうのにもびっくりました。EU内には加害者も被害者もいて、もちろんとらえ方は変わってくるはずなのに、全体で向き合っていく姿勢というか、何ていっていいかわからないけど、日本はこのままでいいのかな~って思ったり。私に何か出来るわけではないから、とりあえず周りの人にもまずは知ってもらいたいな~って今は思います。

 

 

ガイドの中谷さんが「差別をしてなくても、人間は差をつけている」とおっしゃっていたのが印象に残っているので紹介します。

人類みな平等だって思っているけど、そんなことはない。絶対心の中で他人を下に見たり、上に見たりしている。でも、余裕があれば、そんなのは表に出さずに、心の中で思っているけど、ここではそうではなかった。

アウシュビッツ収容所にはユダヤ人だけでなく、社会から差別されていた障碍者、同性愛者、浮浪者、ロマなどの人たちも収容されていました。その中でも序列がありました。お互いに恨みあい、監視しあっていました。

 

今でももちろん差別はあります。ニューヨークの地下鉄でアジア人差別をした人の動画がツイッターで話題になっていましたね。でも、それを非難する人たちがたくさんいるので表向きに発信する人はほとんどいません。表向きは人類みな平等で、同じ権利をもつべきだと思わなければいけません。

ただ全員が心の底から本心で思っているのでしょうか。日本の外国人労働者であるからということだけを理由に給料が低いのは何ででしょうか?住むところを失った難民を跳ね返すのは何ででしょうか?  自分を守るために他人を下げるしかないからじゃないかと私は思います。外国人労働者の給料をいきなり全部一緒にしろ!難民を全部受け入れろ!といっているわけではないです。そうできない理由がどこかにあるっていうことです。

 

たとえとして微妙かもしれないですが、ウィーンに行ったとき韓国人の団体客が写真撮影禁止エリアで大騒ぎしながら写真を撮りまくって、注意されているのにも関わらず撮り続けているのを見て、これだから韓国人は…と思ってしまいました。私には韓国人の友達は何人もいて、みんな優しくていい子なのも知っているのにそう思ってしまいました。韓国人の友達ひとりひとりは大好きでこれからも仲良くしていきたいと心の底から思っていますが、韓国人全体としては日本人のほうが…と思っていたのだと思います。

 

それが今、国単位で隠れていた差別意識が表に出てきています。共存主義から一国主義に流れが変わろうとしています。みんなで協力していい世界をつくろうから、自分の国が良ければいいんだという考えに変わりつつあります。

表向きにはみんなで頑張ろうであるべきだと思いますが、一国主義にかわらなきゃいけない背景があって、そう簡単に理解することは出来ないけれど、理解しようとはしなければならない気がします。

 

だんだんと話が脱線していきましたが、歴史から学ぶってこういうことなのかな~っていうのを何となくわかったような気がします。

 

~気がしますって続くのは、いまだに私自身がわかってはいないからです。まだまだ勉強しなきゃいけないことも、考えなきゃいけないこともたくさんあります。せっかく大学で政治学を学び、留学までして、アウシュビッツを自分の目で見てきたんだから、これからも興味を持っていたいと思います!!!!

 

長くなってしまったけど、おわり!!!!!!

直接現場にいけなくても、本や映画はたくさんあるので興味ある人はぜひ見てみてください。そして、よければ感想を聞かせてください。

 

 

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~現場編②~

前回と前々回に引き続き、現場編②です。

resa96.hatenablog.jp

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前回はアウシュビッツ第一収容所を見たところで終わりました。

そのあと約3キロ離れたアウシュビッツ第二収容所 ビルケナウまで、バスで向かいます。10分だか15分おきにでていて、無料で乗ることが出来ます。移動時間は中谷さんとガイド参加者のお兄さんとおしゃべりです。スウェーデンに留学中で~って話をしたら、スウェーデンにはユダヤ人を10万人以上救ったラウル・ワレンバークという外交官がいるから調べてみるといいかもねと言われました。ちなみにシンドラーのリストシンドラーが救ったユダヤ人が約1200人、杉原千畝が救ったのは約6000人です。

 

前回、日本人は年間3万人ほど訪れると書きました。その中には若い人もかなりいて、特にこれからの時期は学生の春休みなので、ガイドの定員30人がいっぱいになることもあるそうです。打算的ではあるけど、アウシュビッツに行ったって就活でも使えることがあるらしいよ~って言われました。絶賛就活中の私ですが、いまいち使い方はわかんないし、それが目的で来るのはどうかと思うけど、それほど重要な遺跡であることは間違いなさそうです。

 

さて!10分ほどバスに揺られるとビルケナウに到着です。

アウシュビッツの写真として教科書などで見るのは、前回書いた門とこの入り口ではないでしょうか。基本的には天気のいい夏の写真を使っているので、ピンとこない人は調べてみてください。見たことあると思います。

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これは収容所の中からみた景色です。ここが50万人以上のユダヤ人を乗せた列車の終点です。


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この小さな列車に70人ほどが詰め込まれて、遠いところだと何日もかけて終点であるビルケナウにやってきます。


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私の手書きのメモなので汚いのは許してください。門を入って、列車が止まっているところをランペ(降車場)と呼び、ここでユダヤ人は降ろされます。列車から続いてる小さい丸○はユダヤ人の列を表していて、その先にSS(ナチスの親衛隊)の医者がいます。その医者が新しく来たユダヤ人を”選別”します。ぱっと顔みて、「はい、右。左。」って働けそうな元気な人は収容し、そうじゃない人(子供や年寄り)はそのままガス室へ。とっても優秀なお医者さんが、送られてきた人たちに触れることなく、ただ顔色だけを見て、選別をしていったそうです。約8割の人がガス室に直行です。収容されたのはたった2割しかいませんでした。

 

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これがガス室へ向かう道のりです。前に見えるのはガイドの中谷さんです。

収容所の建物を横目にどんな思いで歩いていたんだろうって思いながら、歩きにくい雪の道を歩いていきます。


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これがガス室の跡です。ナチスは戦争に負けることがわかると証拠隠滅のためにガス室を爆破しましたが、跡は今でも残っています。雪が積もっていてしっかりは見えませんでしたが、形は分かります。前に書いたように、約8割の人はガス室に直行します。しかし、彼らにはガス室で殺すからついてこいなんて言うわけもなく、シャワーを浴びるシャワー室に行くと伝えます。ガス室には脱衣所があり、服をかけるハンガーまであります。そこで服を脱ぎ、髪をかられました。もちろんガス室に シャワーを浴びに行った 人たちがその服を着ることは2度とありませんでした。

 

ガス室で有名なアウシュビッツですが、できた当初からガス室はあったわけではありません。そもそもナチスユダヤ人を「殺す」「虐殺する」なんて言葉は使っていないのです。「ユダヤ人問題の最終的解決」として、ガス室を始動させたのです。ユダヤ人を劣性として、優性のみを残すための政策でした。なんでユダヤ人がターゲットになったのかなどは長くなるので割愛しますが、この辺は難しくていまだによくわかないので、もっと調べてみたいと思います。とにかく収容する場所が足りなくなったので、殺すしかなくなってしまいました。多い時で1日4000人がここにあったガス室で亡くなりました。

ガス室を使うようになった理由の1つには銃殺する側の精神面を考慮したというのもあるそうです。そのため、ここで働いていたのは収容されていたユダヤ人でした。遺体を運び出し、併設する焼却炉にいれる仕事をやっていたそうです。

 

ちょっと脱線しますが、私が書いたメモの中に汚水とかいた丸があるのに気づいたでしょうか。左のガス室の隣です。

ここでは何万人もの被収容者が生活しているので、生活排水がでます。その汚水を処理してから川に流していたそうです。今なら当たり前だし、自然のことを考えたら当然じゃんと思いますが、なんでガス室で大量に人を殺せる人が自然を気にしていたんでしょうかと中谷さんはおっしゃっていました。この汚水はユダヤ人が出したものだって言えば、そのまま流してもよさそうなのに、自然には配慮していたそうです。

ユダヤ人への恨みなのか、とにかく当時のナチス、SSの人としての感覚が今の私たちと全然違うことはわかります。

 


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レンガでできた収容所の建物。建物の真ん中には暖房がありました。その近くで寝れるのは、被収容者のなかでもいい地位にいるひとたちです。寒い時は-30度まで下がるので暖房がありますが、あっためるためではなく、死なない程度の気温にするためでした。


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こちらは木造の建物。二段ベットの1段に4~5人が詰め込まれました。真ん中にある石のテーブルみたいなものは暖房です。

木造の建物はなくなっているものが多かったのですが、それは暖房の薪木として使われたからだそうです。

 

これで中谷さんのガイドは終わりでした。

ここで起こった事実を淡々と話すというよりは、私たちに考えさせるような内容でした。ちょっと早口で、知識不足のせいかたまについていけなくなりそうなときもありましたが、濃い3時間でした。ナチスが悪いって一言で終わらせるのではなくて、ナチスを選んだドイツはどうなってこうなってしまったの?ってきっと答えは1つじゃないような、現代にも通じそうな話がたくさん聞けました。

 

今のドイツはナチスのことをしっかり学校で教えて、高校の卒業試験でここしか出さないからちゃんと勉強しろよってしっかり考えさせているのに対し、日本は加害者として朝鮮や台湾をどう教わって考えているのでしょうか。日本の教育が悪いって言い訳してないで、自分で学んでいかなきゃですね。

またナチスは民主主義で選ばれました。ポピュリズム大衆迎合主義)もかなり重要なワードです。多数派が勝って権力を手に入れ続けたら、どうなっていくんでしょうか。

 

私の専攻は政治学で、ゼミのテーマは東アジアの比較政治なので、朝鮮との歴史認識問題について触れたこともあるし、ポピュリズムについてのレポートも書いたことがありますが、思ったより身になってなくて落ち込みました。それに加えて、ヨーロッパについてはほぼ知識がないし考える機会もなかったので、今回をきっかけに学んでいこうと思いました。

政治学は将来役に立たないだろうな~と思いながら授業を受けていたけど(面白いとは思っていましたよ!)、ようやく役に立つ場所が分かった気がします。

歴史を学ぶ意味も感じることが出来ました。

簡単に言えば、どちらも今後同じような悲劇を起こさないようにするためなのかなと私は思います。

 

まだ消化しきれていない部分もたくさんあるけど、いったんおわり!

歴史を学びながら、今のニュースもしっかり追いかけていこうと改めて思いました!!

 

※ガイドの内容やアウシュビッツの案内書、ドキュメンタリーなどからど素人の私がこのブログを書いたので、もしかしたら間違っているかもしれません。間違いがあったら教えて下さい。

 

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた〜現場編①〜

こんにちは!

前回は準備編ということで、中谷さんのガイドに予約して、少し予習したところまで書きました。今回は当日のことを書きます!

 

resa96.hatenablog.jp

バスでアウシュビッツに行く

クラクフからアウシュビッツまではバスで1時間半ほどで着きます。中谷さんからのメールにはタクシーやマイクロバスを中谷さんが手配することもできますとありましたが、私はもちろんのこと1番安いバスで行きます。

ガイドは9時からで、中谷さんとはアウシュビッツのエントランスで8時50分に待ち合わせでした。なので7時10分のバスに乗りました。

他の人のブログを見たら、チケットは前日に買っておくべきだと書いてありましたが、指定席ではないので当日でも大丈夫です。私は6時45分ごろについて、5分後くらいにバスが来てたのでバスの中で運転手さんからチケットを買いました。ポーランド人にアウシュビッツといっても通じないので、「オシフィエンチム」といったほうがいいという情報をみましたが、運転手さんから「アウシュビッツ?」と聞いてくれたのでアウシュビッツで分かってくれそうです!私の時はカードを使えました。ちなみに15ズオチです。

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バスに揺られること約1時間半。ようやくオシフィエンチムに到着!!!

写真を撮り忘れましたが、バスを降りるとエントランスのレンガ造りの建物が見えるのでそこに向かいます。近くには荷物を預けるところがあります。A4サイズ以上の荷物は持ち込めないので、それより大きい荷物はあずけなければいけません。

メインのレンガ造りの建物の中にはお土産屋さん、郵便局、両替所(レートはめちゃくちゃ悪い)、トイレ(有料)がありました。その建物の前で中谷さんと待ち合わせです…!

 

 

中谷さんのガイドスタート!

中谷さんともう一人の参加者のお兄さんと合流し、中に入ります。普段は少なくても10人ほどは集まるそうですが、今回は2人とかなりのレアケースだったみたいです。人数が多くなると、中谷さんがマイクをつけて参加者はイヤホンからガイドを聞く形になるみたいです。

空港のような荷物チェックを通り抜け、少し歩くと、もうアウシュビッツ強制収容所のなかです。ここから中谷さんのガイドが始まります。


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私が行ったのは1月の半ばだったので、雪が積もってました。気温は-3度くらい。私たちはもこもこに着込んでいるから何とかなりますが、当時の収容されていた人は間違いなくもっと薄着だったので、寒さが原因で亡くなった人もたくさんいるそうです。

 

「働けば自由になる」と書かれた門


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これがあの有名な門です。

ドイツ語で「Arbeit macht frei」

英語にすると「Work makes free」で、日本語では「働けば自由になる」と訳されることが多いです。もちろんそんなことはなく、ここで収容された人は毎日12時間以上働かされた末に、凍死、過労死、チフスに感染、弱ってガス室へ…など決して自由が待っていることはありませんでした。

Arbeit(仕事)のBがひっくり返っていることはあまりにも有名ですね。SS(ナチスの親衛隊)に対するささやかな抵抗といわれたりしてますが、どうだったのかはわかりません。

 

中に入るとレンガ造りの建物がたくさん見えます。行ったら、怖いというかもっと感じるものがあるのかなと思ってましたが、解説を聞く前は ”ただのレンガ造りの建物” がきれいに並んでいるだけでした。

 

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そんなことを言っていられたのは最初の5分くらいでした。

 

第5棟の展示物

いくつかの建物は博物館として、中に色々なものが展示されています。いくつか写真を撮ったので紹介していきたいと思います。

 
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ガス室で使われた殺虫剤・チクロンBの空き缶です。

ガス室の天井には小さな穴が空いていて、そこにこの殺虫剤が投げ込まれます。人を殺すのに殺虫剤が使われていました。ナチスにとって、ユダヤ人は人ではなく害虫と同じレベルだったようです。そうじゃなきゃ、こんな残酷なこと出来ないですよね。

 


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これは収容された人がもってきたお皿たち。ナチスが連れてきたユダヤ人が持っていた荷物の中に入っていたものです。ナチスユダヤ人に東に移住するから引っ越しの準備をしろと言ったので、自分が持っている1番いい鞄に大切なものを持ってこれるだけ詰め込んできたんだろうなぁと思います。中谷さんがいうには、子供を安心させるためにいつも使っているものを持ってきたんだろうとのことです。

 

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これがさっき言った鞄たち。多くのトランクには持ち主の名前と住所が書いてあります。自分のもとに戻ってくるように持ち主が自分自身で書いたと思われますが、本人が開けることはありませんでした。収容所に着いて、現地の管理している人たちに開けられて、使えそうなものだけとってあとはゴミです。処分しきれなかったものがアウシュビッツが解放されたあとに発見されました。


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大量の靴です。もう70年以上前のものなのでかなり古くなって色は変わってしまっていますが、収容されていたユダヤ人にとって1番いい靴だったはずだと中谷さんは言ってました。1つだけ靴をもってけるとしたら1番いいお気に入りの靴を履いていくでしょう。

 

あと刈り取られた髪の毛も展示してあります。髪の毛から作られたカーペットも置いてありました。使い切らなかったものが残っています。遺体の一部なので写真は撮れないし、いざ目の前にすると何も言葉が出てこなくなります。先ほどと同じように70年以上たっているので、色はかなり変わっています。全体的にくすんだ黒色です。ヨーロッパの人なので金髪、茶髪、赤毛、黒髪…と色んな色だったと思いますが、時間が経つと全部同じになってしまいます。

 

70年でこんなに変わり果てて、100年後も残っているのかなとふと思いました。私が小学生の時、戦争を経験したおじいさんが学校に来て当時のお話をしてくれました。でも、今は戦争を体験した人で元気な人はかなり少なくなっていて、そのうち直接話を聞けることはなくなります。それと同じようなことで、時がたつ中でどんどん薄れていってしまうような気がします。そうあってはいけないから、国やEU負の遺産としてアウシュビッツを博物館として管理し、私たちは歴史を学び、ひとりひとりに考える機会を与えているのかなと思いました。

 

 

訪れる人々
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この写真には誰も写っていませんが、ちらほらと団体がいました。ポーランド人の高校生がガイドと共に回っていました。アウシュビッツユダヤ人が収容された場所として知られていますが、元々はポーランド政治犯や優秀な人(指導者になる人、先生など)も収容されていました。彼らはポーランドのために戦った人なので、ポーランドからしたら英雄です。なのでポーランド人にとっても大切な場所だそうです。もちろんガイドの内容も言語によって違います。中谷さんのガイドは日本人向けなので、細かい歴史よりももっとジェネラルな話が多かったように思います。

 

ドイツでは高校の卒業試験の歴史の問題はナチスやそのあたりのことしか出ないそうです。自分の国が過去にやった残酷な出来事に、真正面から向き合う機会を若い人たちは与えられるといった感じですかね。テキストを抱えて勉強しながら歩いていた高校生くらいの女の子を見かけました。ただ歴史を覚えるというよりは、何でこんな起こったのかとかもっと深いところが問題になるそうです。「ヒトラーが悪い」「ナチスが悪い」は答えとして不適切で、もっともっと深いところ、何でナチスが民主主義で選ばれたのか、何で誰も止めれなかったor止めようとしなかったのかとか、民主主義やポピュリズム大衆迎合主義)に関わるところまで踏み込まなければいけません。正確な答えはわからなくても(ないかもしれない)、歴史を学び、自分で考えるということに意味がありそうです。

こういう話を聞きながら、また今ここに書きながら、高校時代、歴史は暗記科目だーー!!って言いながら勉強したことを思い出します。なんでも教育のせいにするのはいけないと思いつつも、日本とヨーロッパの歴史教育の違いを感じました。弥生土器の種類や平安時代天皇の順番を覚えるよりももっとやることはありそうです。

 

ヨーロッパでは修学旅行先になることも多いそうです。日本人が広島や長崎、沖縄に修学旅行に行くのとおなじようなものですかね。年間200万人以上(日本人は3万人ほど)が訪れ、特に夏にはたくさんの人がきて、ゆっくりガイドをしてみることは難しいと中谷さんは言っていました。めちゃくちゃ寒いけど、ゆっくり見たい方は冬に行くことをお勧めします。

 

 

死の壁
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これは第10棟と第11棟の間にある「死の壁」です。奥に見えるグレーの壁です。ここは銃殺刑に使われた壁で、囚人はこの前に立たされ銃殺されました。いくつもの銃弾の痕が残っていて、お花が手向けられていました。

第11棟は中に入れて、人体実験のことや拷問のことが展示されています。今でもカルテはドイツ語で書かれているように、当時ドイツは医学の最前線をいっていました。その優秀な医師たちが人体実験をやっていたんです。命に関わるような実験に人を使うなんてダメに決まってるじゃんって、平々凡々な大学生の私ですらわかるようなことを世界トップクラスに優秀な人たちが行っていたんです。当時のナチスによる洗脳というか、ユダヤ人は敵だって国民にしみこませたというか、ナチスの力の強さを感じます。

 

 

第11棟の展示物
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収容所から労働場所まで行進させられる被収容者たちです。このような絵がいくつも残っています。


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初期の被収容者たちは写真や名前やつけられた番号がしっかりと残っています。見えにくいと思いますが、何人かの顔にはあざがあります。収容所の命令はドイツ語で出されます。ポーランド人はポーランド語を話すので、理解できない人も当然います。どうなったかは想像の通り、殴られたり、もので叩かれたり…。

 


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上の2枚の写真はどちらも被収容者の部屋です。上の写真の3段ベットには1台あたり2~4人が使っていたそうです。それに対し、下の写真の被収容者は広々とひとり1台のベットに机やタンスまであります。

 

繰り返しますが、どちらも被収容者の部屋です。SSは被収容者にはランクをつけて、被収容者同士で管理させることに成功しました。ポーランド人、ユダヤ人、同性愛者など、共通の敵であるナチスがいるにも関わらず、お互いに恨みあい、監視しあっていたのです。被収容者を管理する人にはいい部屋を与え、配給係までやらせました。当たり前ですが、自分の食べ物を多く確保します。配給係の中には太っていたものまでいたそうです。そういった人たちが厳しい環境を生き抜いていったわけです。この時代の様子を知るためには生存者の証言が必要ですが、彼らは被収容者でありながら半分は加害者なので、証言しづらかったそうです。家族がいる人は特に。

 

 

有刺鉄線
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収容所の周りは有刺鉄線で囲われています。しかも2重。夜中には電気が流れ脱走できないようになっています。

 

ヘス(初代所長)の家
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右にあるベージュぽい一軒家が見えますか?収容所から数十メートルのところ、この写真を撮ったすぐ後ろにはガス室があるところに、SS大佐であるルドルフ・ヘスが幼い子供を含めた家族で住んでいました。元々は現地のポーランド人のものでしたが、彼らから奪いヘスは住んでいて、戦後は元の持ち主に戻されたそうです。かなり衝撃でした。被収容者を酷使し、効率よく人を殺す方法を考えていた収容所と、家族と過ごすあったかい自宅が目と鼻の先にあり、毎日行き来したと考えると、同じ人には思えません。自分の子供と同じくらいの子供をガス室に送り込んで、何も思わなかったのでしょうか。そう思わせない社会や環境はどんなだったんでしょうか。

 

ヘスは1947年にアウシュビッツで絞首刑になりました。自分が多くの人を殺した場所で処刑されたのです。彼は悪いことをしたと思っていなかったようなので、1度も謝ることはなかったそうです。ここにもナチスの強さを見ることが出来ます。

 

これでアウシュビッツ第一収容所はおわりです。
3時間のガイドのうち2時間弱です。残りはアウシュビッツ第二収容所・ビルケナウに続きますが、思った以上に長くなってしまったので次にします。

 

resa96.hatenablog.jp

 

アウシュビッツ収容所を中谷さんのガイドで見てきた~準備編~

こんにちは!

まだ書いてない旅行の話はたくさんあるけど、絶対忘れたくないところに行ってきたので忘れる前に書き残しておきたいと思います。

ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に行ってきました。

長くなる気がするので、今回は準備編にしたいと思います。

 

まずなんで私がポーランドに、アウシュビッツに行ったかというと、ヨーロッパ(スウェーデン)に留学している身として見たほうがいいかな~と思って調べてるうちに、行かなきゃって謎の使命感を感じたからです。っていうのもあるけど、実際は旧市街や大聖堂を見て綺麗だな~っていう旅行に飽きてきたところだったので違うことをしようっていうほうが大きいかったかもしれないです。そんな理由がどうでもよくなるくらい印象に残りました。

 

アウシュビッツ強制収容所とは…?

アウシュビッツとは、第二次大戦中に、ドイツ・ナチスポーランド南部に作った強制収容所です。ポーランドオシフィエンチムという町にあり、ドイツ人が発音しにくかったためアウシュビッツとドイツ語で呼ばれています。元々はポーランドやドイツの政治犯を収容するための施設でしたが、ホロコーストユダヤ人大虐殺)の最大の施設となり、多くのユダヤ人がここにあったガス室で殺されたことでも知られています。

現在は博物館として管理されており、ヨーロッパの国を中心に世界中から年間200万人以上が訪れているそうです。(日本人は3万人程度だそうです。)

 

 

ガイドの予約をする

アウシュビッツ博物館の入場料はかかりません。個人で見る分には無料です。いくつか看板や解説があるものの、何も知らなければ当時多くの人が収容されていた収容所はただの建物だし、多くの人が殺されたガス室は壊されていて知らなければただの瓦礫です。だからこそ、ガイドの方と回ることをお勧めします!

で!私が候補に入れたガイドは3つ!

アウシュビッツ唯一の外国人ガイドである日本人の中谷さんのガイド

②日本語を話せるポーランド人ガイド(クラクフから往復送迎付き)

ポーランド人ガイドによる英語ガイド

 

③英語ガイドは1500円ほどと3つの中では1番安かったのですが、せっかくここまで来たので完璧に理解したいということでが候補から消えました。①中谷さんのガイドがかなり評判がよかったので、公式ホームページを見たものの日本語ガイドがその日はありませんでした。なので③の送迎付きのガイドにしようかと思ったら約1万円もするし、ガイドの当たり外れがあるという口コミをみてしまったので、中谷さんのガイドに何とか参加できないものかと個人的にメールをすることにしました。メールアドレスはネット上にあるので、探してみてください。

こんな感じのメールを送りました^^

 

初めまして。
大学生の(名前)と申します。

急で申し訳ないのですが、(滞在期間)のどこかの日程で、アウシュビッツ収容所の見学をしたいと考えております。
可能でしたら、中谷様のガイドに参加をしたいのですが、ご都合はいかがでしょうか。
突然のお願いで申し訳ございません。ご検討いただければ幸いです
よろしくお願い申し上げます。

 

 

クラクフアウシュビッツからバスで1時間半ほどのところにある大きな町)での滞在は3日間を予定していたので、その3日間で都合のいい日を聞きました。しかし、私以外に参加者がいない、団体のお客様のガイド、お休みということで、この3日間は断られてしまいました。日程変更できるのでお願いしますというメールを送って待つこと1日。いいお返事を頂けましたーー!!

 

 こんにちは。

それでは(日時)からお引き受けします。ご案内はアウシュヴィッツとビルケナウで約3時間、入館案内料はお一人230ヅオチです。よろしければ、開始10分前までにアウシュヴィッツ博物館入場棟前へお集まりください。
私の連絡先は下記のとおりですので、現地でなにかお困りのときはご遠慮なくお知らせください。こちらで急な変更があるときにご迷惑をできるだけおかけしたくないので、緊急時連絡先をお持ちでしたら、ご教示ください。尚、不慮の事態によりご案内できなくなった場合はその代償を負うことはできません。あらかじめご了承願います。
尚、A4用紙以上の大きさのかばんやバックの持ち込みはできません。アウシュヴィッツ博物館の荷物預かり所へ置いてください(有料)。
クラクフアウシュヴィッツ博物館の交通情報を添付します

 

いえーーい!こんなメールが来ました。詳しいことはよくわかりませんが、10人まではガイド料が同じで人数で割るそうです。友達が行ったときは60ズオチだったらしいです。運がいいんだか、悪いんだか、ガイドの参加者は私と社会人のお兄さんの二人でした。いつもよりガイド料は高めでしたが、その分ゆっくりお話ししながらガイドを聞けたのでまあいいとします!

 

 

予習をする

恥ずかしながら、世界史をちゃんと勉強したことなかったので、中学の知識で止まっていました。そのまま行くのはもったいないと思ったので少し勉強してからいくことにしました。クラクフが舞台の映画「シンドラーのリスト」、友達のオススメで見た「縞模様のパジャマの少年」を見て、ドキュメンタリー見たりしました。

・何でユダヤ人だったのか

ナチスは何だったのか

アウシュビッツとは

とか、もう基本的なことも調べたりしました。日本という島国でぬくぬくと育った私は文字で読んでも、ピンとこないところも多くあったけど、基礎知識だけは詰め込みました。

あとはポーランドに行く前にプラハにいったので、プラハユダヤ人地区にあるミュージアムシナゴーグ(教会みたいなもの)にもいきました。

 

世界史やらなきゃなぁ~と大学は行ってからずっと思いながらもやらずに、スウェーデンに来ましたが、旅行しているうちに学びたい欲が高まってきました。英語をやる気になるもの旅行しているときだし、日本をもっと知りたいと思うのも歴史を勉強したいと思うのも全部旅からですね。

 

とりあえずは行く前までの話!

ここから現場編①②、あとがきと続きます。

 

resa96.hatenablog.jp

 

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ホステルについて!ドミトリーって危なくないの?

こんにちは〜☺︎

何回かホステル・ゲストハウスとかドミトリーについて聞かれたので、私がホステルを選ぶときに見るところをまとめてみます!

国内は5箇所、海外だと20箇所くらいのホステルに泊まってそこで学んだ(?)ことなので、あくまで私の場合って感じです!!!

 

 

まずホステルとは!

辞書によると簡易宿泊施設。ゲストハウスとの明確な違いはないらしいですが、ゲストハウスのほうがホステルより小さめなイメージです。ホテルみたいにアメニティグッズは基本付いてきません。(タオルとかシャンプーとかは持参!借りれるところもある)そして相部屋(ドミトリー)が基本です。1番多いのは2段ベッドが2〜5台ある部屋ですね。

 

ホステルを使う前は知らない人と同じ部屋で寝るなんて怖すぎって思ってたけど、今思うと何が?って感じですね。

 

もちろん他のベットには知らない人がいるので、静かにしなきゃとか荷物の管理ちゃんとしなきゃとか色々気を遣いますがとにかく安い。1番安かったのは海外だとフィリピン・ボラカイ島のホステルの一泊800円くらい、国内は2200円の金沢にあるゲストハウスステラです。高いところはニューヨークの6000円でしたね。高すぎ。

 

ホステルの仕組みは大体同じですが、ホステルによって差が出るところを紹介していきます〜!!

 

 

◎二段ベット

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@ウィーン(オーストリア)


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@クイーンズタウン(ニュージーランド)


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@金沢(日本)


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@クラクフ(ポーランド)

 

一言に二段ベットといっても形は様々です。クラクフで泊まったベットは上の人が寝返りうつだけで揺れました。木製だから揺れないとかそんなこともなくて、ベットによりますね。

カーテンがついてるところもあります。ない場合は自分でバスタオルとか引っかければいいんですけど、できるのは下のベットだけです。あるところの方がいいなあとは思いますが、そこまで気にしてはないかな!! シーツや布団カバーがセルフサービスのところもあります。やってくれてるなら嬉しいけど、別に大した問題じゃないですね。

 

これはオマケですけど、ドミトリーで居心地よく過ごすためにはほかの旅人とちゃんと挨拶をすることです。どこからきたの〜とかそんなかるーい会話をしておくだけでも全然違うと思います。多少うるさくしても知り合いなら舌打ちされないだろうし、荷物も盗まれたりしないんじゃないかと勝手に思ってます。

 

 

◎ライトとコンセント

ベットごとにライトやコンセントがついているところもあります。私が泊まったところは8割型はついてたかな!人によっては9時くらいには寝て部屋の電気が消してしまうことがあるので、個人で使えるライトがあるのはとっても便利です。コンセントはないとなかなかキツイですね。まぁこの辺は口コミよめば書いてあると思うので、気になる人は確認してください。私は延長コードを旅先にはもってくのでコンセントはあんまり気にしてないです。ライトはあったらラッキーくらい!たまに棚までついてるところもあります。

 

 

◎ロッカー

多くのドミトリーには個人のロッカーがあります。同じ部屋に何人も知らない人がいるから、荷物の管理はしっかりしなきゃいけません。ロッカーはバックパックがすっかり入る大きさのものもあるし、貴重品サイズのものまでこれも様々です。基本的には鍵がついているけど、たまについてないところもあるので、自分の南京錠をもってるといいと思います!! 日本の百均ので十分です◎

 

 

男子ドミ・女子ドミ と ミックスドミ

男と女でドミトリーを完全に分けているところもあるし、それに加えてミックスドミトリー(誰でも泊まれる)があるところもあるし、ミックスドミしかないところもあります。

日本で泊まった5つのゲストハウスは全部男女分かれていました。海外はミックスドミが基本な気がします。ミックスドミに加えて、女子ドミがあるところもありますが、基本割高です。だから最近はミックスドミに泊まることが多いです。

 

ミックスドミに泊まるデメリットとしては、

  • 着替えるのに周りを気にしなきゃいけない
  • 洗濯物を干しにくい

くらいでしょうか。あとミックスドミはいつも男臭いというか運動部の部室の匂いがする気がします(男性の皆さんごめんなさい)。最初のころは気にして割高な女子ドミを選んでましたが、一回泊まっちゃえばもうどうでもよくなりますね。4、5泊するときは女子ドミに泊まりたいけど、1〜3泊なら全然気にせずミックスドミに泊まってます。

 

 

◎シェアキッチン

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@クイーンズタウン(ニュージーランド)

9割以上のホステルにはシェアキッチンが付いてます。クイーンズタウンで4泊したホステルのキッチンは、コンロ、レンジ、冷蔵庫、冷凍庫使いたいもの全部あったので便利でした。物価が高めの地域に長期滞在する場合は自炊することになると思うので、長期滞在する人は確認してみてください。そうじゃなきゃ、レンジと湯沸かし器くらいはどこにでもあるので気にしなくていいと思います。

 

 

◎バスルーム

日本だとトイレはトイレ、シャワールームはシャワールームでいくつかあるところが多いです。海外は一緒のところがほとんどです。泊まる人数の割にバスルームが少ないと夜と朝は混み合って、タイミング見計らうのに疲れます。たまに口コミでバスルームが少なすぎ!ってたくさん書かれているホステルがあるので、それは避けるようにしています。男女に分かれてますとか女子専用がありますとかはあんま気にしてないです。

 

 

◎コモンスペース

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@バンコク(タイ) 


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@金沢(日本)


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@ザグレブ(クロアチア)


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@タリン(エストニア)

 

これはほんとーーにホステルによってバラバラです。ソファーがあったり、大きいダイニングテーブルがあったり、コタツがあるところもあります。宿でゆっくりしたいなとか、コモンスペースで友達作りたい人には大事なポイントです。ホステルは寝られればいいんだって人は気にしなくていいところです。

当たり前ですが、居心地のいいコモンスペースには人が集まりやすいです。写真の4つのホステルでは他のゲストと一緒におしゃべりしたり、飲んだりしました!!個人的にはソファーがあるか靴を脱いで地べたに座れるところが好きです。1.2泊ならどうでもいいんですけど、3泊以上する場合はコモンスペースをチェックするようにしています。

 

ホステルに泊まるメリットの1つに友達が出来るというのがあります。コモンスペースでのんびりしてる旅人と一緒にその土地の情報交換したり、旅の話をしたりしながら、ご飯食べたり飲んだりできます。だから長めに滞在するときはドミトリーだけじゃなくて、コモンスペースも見ています!!

 

 

長々と書いてきましたが、ホステルを選ぶ時に大前提にあるのはロケーションです。スーパーやコンビニが近いこと、駅やバス停から近いこと、朝の出発が早いときはそこまでのアクセスがいいこととかですね!!

ちなみに私はbooking.comを使って予約してます。予約の管理を一括できるし、口コミも多いし、絞り込み設定もあって探しやすいです。これから登録する人は紹介特典使うと紹介した側もされた側も2000円オフになるので、周りの人に聞いてみるといいと思います。(探すのめんどくさい人はぜひ私に連絡ください(小声))

 

荷物の管理さえしっかりすれば、安くて、運が良ければ友達も出来ちゃうので、ホステルはオススメですー! リフレッシュするような旅行をしたい人はホテルを選ぶべきだと思いますが、費用を抑えながら"旅"をしたいならぜひホステルを!!!!!

 

留学が辛くなったのでworkawayでボランティアしてきた

こんにちは〜☺︎ あけましておめでとうございます。

 

晦日ストックホルムにある野外博物館でライブを見ながら年越しをしました〜。忘れないうちにスウェーデンでの生活も記録しておきたいですね。

 

さて、いつだかのブログに、とあるピリオドに受けたい授業がなくて無理やり1つ選んで頑張るか、授業をきって何かやってみるかという悩みをぐちぐちと書きました。

 

悩んだ末、授業をきって、エストニアの首都・タリンにあるホステルで2週間ほど住み込みボランティアをしてきました。

 

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タリンのクリスマスマーケット

 

Workawayというサイトに登録して、そこからホストを探しました。WWOOFと同じシステムです。workawayは1回登録すると世界中どこにあるホストとも連絡が取れるし、WWOOFは農業だけなのに対して、workawayは私がやったみたいなホステル、他にもベビーシッター、観光系の仕事など幅広ーくあります。

私はいつかホステルやゲストハウスで働きたいなぁと思ってたのでストックホルムから近いタリンのホステルに決めました◎

 

親に今エストニアにいるって報告したら「交換留学中に違う国いって勉強もせず何してんだよ」ってチクチク言われたし、大学には口が裂けてもこんなこと言えないし、私自身もこんなことしてないで学校行けよと思いましたよ。 でも、本当に精神的にきてて何故か辛くて、日本に帰りたいとも思わず、このまま消えたいなぁと思うくらい無気力で何もやる気にならくて、こんなにステキな環境にいるのに私は何もしてないっていう自己嫌悪に襲われてました。

だから、1回気持ちと環境をリセットするために行くことにしました!

 

結果!行ってよかった!!!! 

 

ホステルでの仕事は、掃除とチェックイン業務です。シェアドミトリーに他のボランティア5人と一緒に寝泊まりしながら、週に3〜4回半日のシフトに入るって感じです。それ以外の日は観光したり、共有スペースでほかのボランティアやゲストと遊んだりしてました。

 

留学先では1人部屋なので誰とも話したくなければ籠もればいいんですけど、ここだと自分だけのスペースがないのが良くもあり悪くもあり。さっきも書いた精神的にきてた原因の1つに英語が出来ないというのがあって、共有ルームだと常に英語が聞こえて、誰かが話しかけてくるかもっていうストレスが常にかかってるというのが悪いところ。良いところは籠れないから英語を使う機会や世界中からゲストから色々と学べるところ。

最初は全然話にも入れないし、お酒飲むのも辛いし、チェックインの仕事もバタバタしちゃってたし、暇な時間も外に出る気にならずぼーっとしてました。

 

でも他のボランティアもゲストもみんな優しくて、どっか出かけるとかご飯作ろとか誘ってくれるし、ゲストも私がボロボロの英語で説明してるのをちゃんと聞いてくれるて、みんながこんなに優しいのに私が腐っちゃダメだと思わせてくれました。なんで人ってこんなに優しいんですかね。無条件にみんな優しい。自分はこんなにクズなのに人が優しいのが辛くもなりましたが、私も優しい人になろうというところに辿り着いたので良かったです。

 

2週間たくさんの人に出会って、初めてのこともあったし、改めて気づいたこともありました。忘れないように残しておきます。

 

 

日本の英語教育はダメだと言われてるけど、意外とそこまで悪くないんじゃないか。

日本人は文法はできるけど、スピーキングが絶望的だとよく言われます。私も例に漏れずそのタイプで、フィリピン留学するまでは読めるし書けるけど、喋れませんでした。(今もかなりひどいけど)

でも、ほとんどの日本人は中学で習った英語で海外旅行出来ると思います。チェックインしたり、道聞いたり、レストランで注文くらいは余裕です。

 

ブラジルからきたおばさんゲストは、全く英語を話せないのか話さないのか、hiやhelloって挨拶してもポルトガル語で返事をしてきました。何か伝えたいことがあると、私がポルトガル語を全く理解できないことを知ってるだろうにポルトガル語で話しかけてきて、全部google翻訳にかけます。簡単な単語ですら全部。  

チュニジアから来た若いゲスト5人組のうちの2人も他の3人の通訳がないと何にも分かってないようでした。

 

他の先進国に比べれれば、日本人は英語を話せないだろうけど、そこまでボロクソ言われるほどなんですかね。日本語は英語と違いすぎるから習得が大変な割にはいいんじゃないかなーとか思ってしまいました。もちろん日本の英語教育にも改善の余地はあるだろうけど、そんな悪くないんじゃない?って思えたことで少しホッとしました。とはいえ、喋れた方が楽しくなるのは間違い無いので頑張ります。

 

 

 

②意外と日本は知られている

これは留学してからよく思うことで、日本は私が思ってるより大きな国なんだなということです。日本から来たっていうと、こんにちはやありがとうって言ってくれた人が何人もいました。日本には美味しいラーメンがたくさんあるんだよね!とか 日本の歴史が好きって言ってた人もいたし、働きすぎて死ぬっていう単語(過労死)があるって聞いたけどほんと?とか聞かれたり。

アジアの端っこにある小さな島国だけど、遠く離れたヨーロッパの人たちに少しでも知られてるのはなんだか嬉しかったです。

韓国人の友達はヨーロッパ人(留学生)に差別されてる被害意識が強く、ヨーロッパ人はアジア人には興味がなくて仲良くしようともしないから友達にはなれないし嫌いだって言い放ってますが、私は感じたことはないです。 (私が鈍感なだけかもしれない) もちろんアジア人を下に見たり差別してる人もいるだろうけど、旅行したり留学するような人でそんな人は少ないのではないかなーと思います。

 

 

たった2週間だけど、慣れない環境で私なりに色々考えて頑張って、少しは元気を取り戻せた気がします。たった9ヶ月の交換留学の最初の3ヶ月で心が折れるなんて弱すぎると落ち込んでたけども、あと半年もあります。落ち込んでてもしょうがないので、適度に休みながら私らしい留学生活を作っていきます。

 

 

来週はまた旅行にでかけて、その次の週からは2ヶ月ぶりの授業です。復帰できるか心配です。他にも日本文化を紹介するイベントをカフェでやらせてもらったり、来月には従姉妹と妹が遊びに来たりと楽しみもあります。

後半戦はがんばるぞおおおー!!

 

では!